【AQUA221号】常盤村養鶏の創立50周年記念式典が開催

フードアクション・ニッポン・アワード最高賞を受賞

 四月一七日、常盤村養鶏農業協同組合(青森県藤崎町)の、「フードアクション・ニッポン・アワード二〇〇九」大賞受賞を祝う会と創立五〇周年記念式典が、弘前市の「フォルトーナ」で開かれ、関係者ら約四〇〇人が出席し、受賞を祝うとともに、同組合の五〇年間の歩みが振り返られました。


 はじめに、「フードアクション・ニッポン・アワード二〇〇九『大賞』並びに『農林水産大臣賞』受賞を祝う会」が開会しました。同アワードは、食料自給率向上に寄与する事業者・団体等の取組みを一般から募集し、優れた取組みを表彰することにより、食料自給率向上に向けた活動を広く社会に浸透させ、未来の子供たちが安心しておいしく食べていける社会の実現を目指すもので、同アワード二〇〇九実行委員会が主催し、農林水産省の共催、内閣府、文部科学省、環境省などの後援によって行われているものです。常盤村養鶏農業協同組合は二〇〇六年度から、藤崎町内で本格的に栽培を始めた飼料用米を使用して鶏卵「こめたま」を生産、商品化しました。その活動が、先進事例として認められ、同アワードの大賞と農林水産大臣賞を同時に受賞しました。
 小田桐智高藤崎町町長が「地道な取り組みの成果が大賞の受賞につながり、大変喜ばしいことです」とあいさつした後、石澤直士組合長(BM技術協会常任理事)が、表彰状を受け取り、「この度、当組合の食糧自給率向上に向けた取り組みが図らずも大賞を受賞し、この賞の重みに大きな責任を感じます。日本の食を次の世代に残すためにも、仲間と集い、語り合いながら、新たな気持ちで今できる最高の取り組みを進めたい。何卒、皆様の力強いご叱責、ご助言を期待します。」と述べました。

 続いて行われた、「常盤村養鶏農業協同組合創立五〇周年記念式典」では、昭和三五年一二月設立以来、半世紀の節目を迎えた同組合の歩みをまとめたビデオが上映され、石澤善成会長が「生協とのいち早い取引が大きな支えとなった。常盤村養鶏農業協同組合の更なる五〇年のために皆様のご協力をいただきたい。」とあいさつしました。「日本農業のトップランナーとして期待する」、「地域のみんなが元気になる農業を」といった祝辞が紹介され、出席者は一層の発展を期待しました。
 同組合は、豪雪地帯で産業がなく、貧しかった常盤村地域に、働ける場所をつくるために、初代組合長能登谷喜代衛氏が設立し、寒冷地での大規模養鶏に先駆的に取り組んできました。時代に先行して、鶏への抗生物質の投与を止め、良質な鶏卵生産、循環型農業を実践してきました。平成六年からBMW技術が導入されています。
 また、翌日の十八日、「食の味力発見、第一回フェスタin藤崎町」(東奥日報社主催)が、常盤村養鶏農業協同組合の「こめたま」をテーマとして、藤崎町の「食彩ときわ館」で開催されました。たくさんの人々が来場し、「こめたま」の卵かけご飯試食会には長い行列ができて、一時間で無くなるほどの盛況ぶりでした。(報告:井上忠彦)

Author 事務局 : 2010年06月01日15:58

【AQUA221号】カネシゲファーム・農村キャンパスがスタート!

バイオガスとBMW技術が合体しました
報告 APLAフィリピンデスク 大橋 成子

 日本の四国より少し小さいフィリピン・ネグロス島。島の中央部には二五〇〇m級のカンラオン火山がそびえたっています。カネシゲファーム・農村キャンパスは、この活火山の麓の村に位置する平地や高台の起伏に富む五ヘクタールの農場です。
 一九九六年にフィリピンで初めてのBMW技術がこの農場で開始されました。しかし当時はまだ、農業の基本である農地改革が遅々として進まず、農業への意欲をもった農民が充分活用できる段階に至らず、農場はしばらく放置された状態でした。
 それから一四年。ネグロスの農業事情も大きく変わりました。地主の様々な圧力に抗した土地闘争が各地で展開され、政府の農地改革によって土地を手にした元砂糖労働者たちが登場し、各地で自営農民として生きていく挑戦を始めました。しかしどの農民にも共通することは零細農業で、最低限の収入はあっても、そこから農業で食べていく次のステップを見出せないこと。さらに、若者たちの農村離れは年々増加し、命がけで獲得した農地を次世代に継承することに不安を持つ親たちがいたことです。
 とくにネグロスの場合、二〇〇年近くにわたる砂糖地主による農園制度によって、自営農業の歴史が他の地域と比べて極端に浅く、農業・農民は「無学で貧乏」という社会通念がいまだに強く残っている地域です。
 それでも「農園労働者」から「農民」に生き方を変えた人々はネットワークを作り、自分たちの将来に向けての相談会を一年かけて続けました。そこからふたつの課題が絞り込まれました。①各地で孤立することなく、お互いの経験や知恵を交流し学びあう場が必要。②「楽しい・儲かる・知恵のつく」農業を実践し、若い世代がその中心になるような地域を創りたい。
 このふたつの夢を実現するために、カネシゲファームを借り入れ、そこで次世代農民となる青年たちを対象にした実践農場と農民たちが自由に学びあう農民学校を創ろうという構想が生まれたのです。

 食糧・水・エネルギーを
自給する農場をめざして
 二〇〇九年七月、背の丈まで草が生い茂った農場の修復作業が始まりました。再建に関わったのは、十六歳から二二歳までの六名の若者(各地から第一期研修生として参加)とボランティアで参加した農民たち。屋根の壊れた豚舎の修理、長い間、鍬を入れていなかった硬い土の開墾、そして草取りの毎日・・・。六名の青年たちは、経済的理由で高校や大学進学を断念し、親の土地を継いで農民になることを心に決めた子どもたちです。彼らの汗だくの作業で、放置された土地に何種類もの野菜畑が出現し、三十頭の豚、ヤギ・地鶏・アヒル・牛・五百匹の養殖魚が入り、農場がにぎやかな風景に変身しました。
 カネシゲファームには様々な中間技術も導入されました。
 まずは、かつて建設されたBMW用の五十トン槽五つの巨大タンクを補修しました。一槽目のタンクは厚いセメントで密閉状態にし、そこに豚舎から流れ出る糞尿を入れ、バイオガスを抽出します。二槽目のタンクにはバイオガス抽出後のスラッジ(消化液)が流れ込み、これが原料となって三槽目から五槽目に続くBMW生物活性水づくりに繋がるという仕組みです。二〇頭の母豚から出る糞尿で、バイオガスの貯留用プラスティックタンクは一五日間でほぼ満タンになりました。毎日一〇人分の調理に使用しています。
 バイオガスとBMW技術を連携させる方法ははじめての試みということ。これは昨年カネシゲファームを訪問され、農場全体の循環の見取り図を作ってくださった椎名盛男(BM技術協会常任理事)さんから提案を頂き、その後、匠集団そらの秋山澄兄さんの指導で、見事に実現されました。最初は半信半疑で作業を手伝っていた研修生も、バイオガスで料理し、生物活性水を利用し元気な野菜ができることで、「豚の威力はすごい!」とこれまで以上に愛情をもって豚の世話をしているようです。
 生物活性水は、動物たちの飲料・養殖池(藻がたくさん生まれます)野菜・果樹栽培と農場全体で使用しています。
 昨年から今年にかけてフィリピンはエル・ニーニョ現象(長期日照り)に見舞われ、六ヶ月間まともに雨が降らない状況が続き、灌漑設備がほとんど機能していないため各地で甚大な作物被害が出ています。しかし、農場では水圧自動揚水機(ラムポンプ)を二基導入したおかげで、灌漑と飲料水に事欠くことはなくなりました。
 バイオガス・ラムポンプ技術は、ネグロスで、とくに山間農民に電気や燃料を使わない中間技術によって水やエネルギーを作りだすエイド財団(オランダ人の技術者が主宰)と連携して建設されました。将来、バイオガスを利用した発電機、風車による発電など、エイド財団とは「自分たちでエネルギーを創りだす」ことをカネシゲファームで実践し、地域に伝えていくことを相談しています。

 農業は面白い!
 カネシゲファームに給料はありません。研修生も教える農民も自分の作物は自分で売って稼ぐ方法をとっています。第一期研修生は今年九月に「卒業」予定です。彼らはそれまでに目標を立てました。①各自、最低一万ペソ(約二万円)野菜を売り上げ、地域に帰った時の農業資金にする。②地域へ帰った時には各自で肥育した豚一頭をもって帰り、繁殖させる。③堆肥づくりを地域の仲間によびかける。③各地域にミニ・カネシゲファーム(有畜複合農業)を作る。
 親の時代まで砂糖労働者だったマック君は「農業はいやだと思っていた。でも今は面白い。自分の作った野菜を近くの小学校が注文してくれるようになった。先生たちが、僕のニガウリやトマトは本当においしい、何日たっても腐らない!と言ってくれると本当にうれしかった。それに農場で料理するにもおかずを一切買わなくてすむ。やっぱり農業はすごいと思った。将来自分の村でも養豚と小さなBMWプラントを作りたい。そうすれば、仲間も増えていくだろう。第二期研修生は地域で僕の仲間になる人に呼びかけたい」と、昨年までは人前で話をすることが一番苦手だったのに、自信いっぱいに語ってくれました。
 三年後にカネシゲファームは経済的に自立できる農場をめざしています。その鍵は養豚・野菜・果樹・堆肥生産です。同時にルーラル(農村)キャンパスという学校も始まります。教室型の学校ではなく、毎日の実践を中心に、農場の施設を使い、必要なら他の地域へ出かけていき、BMW技術・バイオガス・野菜生産・豚の交配・配合飼料・堆肥づくりなど農民が農民に教える実践学校です。女性たちはさっそく、チョリソー(豚肉ソーセージ)やピクルスの食品加工セミナーを予定しています。これから一年、一年、じっくりとあせらず、「楽しく・儲かり・知恵のつく」農業と農民の集う場を創りだしていくことを願っています。BM技術協会の先輩の皆さまの経験と知恵をぜひお寄せください。

BMW技術・新たな取り組み
  ~ネグロス島・カネシゲファー
報告 株式会社匠集団そら 秋山 澄兄

 フィリピン・ネグロス島での生物活性水施設の修復および、再稼動に関してはアクア二一八号ですでにご報告しました。いよいよ、本格的に再稼動に向けて動き出し、すでに生物活性水の培養調整も始まっています。(完成予定六月中旬)
 今回の生物活性水施設の大きな特徴は、二一八号でもお伝えしましたが、第一槽目に豚舎排水を利用しバイオガスを抽出するプラントをつくり、その消化液を原料に生物活性水を作ることです。また、消化液はそのまま液肥として耕作にも利用されます。
 生物活性水施設からは、ラムポンプ(水圧自動揚水機)などの自然の力を利用した設備を導入し、豚舎、堆肥場への給水や、畑への潅水が可能になっています。プラントに使用するブロアなどの電源は、ソーラーパネルや風車(乾季のネグロスはとても風が強い)を利用したクリーンエネルギーでまかなう方法等も話し合われています。
 これらBMW技術を含めた「中間技術」(注)を大胆に利用した「農」の系、そして「生活」「教育」はカネシゲファームの象徴的なものとなるでしょう。
 これを機にフィリピンでも、ネグロス、北部ルソンを中心としたBM農民会などの組織作りに向けて、話し合われて行く予定です。
 この取り組みがネグロス島及びフィリピン全土の有機農業の発展のために動き始めたと言ってもよいのではないでしょうか。
 ただ、焦らずに彼ら農民の手でじっくりと取り組んでいけるようにサポートできることを願っています。

(注)【中間技術】
地域性に適合した、より人間的な、適正規模の技術。先進国の資本集約的な巨大技術が環境破壊をもたらすなど人間の意に服さないものになってゆく中で、ドイツのシューマッハ博士がその必要性を唱えた。

Author 事務局 : 2010年06月01日15:56

【AQUA221号】農業実践スクール「hototo」で生物活性水プラントの設置がはじまる

株式会社匠集団そら 星加 浩二

 山梨県山梨市牧丘町にある農業実践スクール「hototo」では、都会の人たちが気軽に農業を始められるように、手始めに野菜づくりの週末農業スクールを開催しています。東京から九〇分という場所にhototoの圃場はあります。農業を始めたい人たちや、自分が作った野菜をみんなに食べてもらいたいと願う人たちが参加し、実践する場の提供と独自のテキストを利用して栽培技術の手助けをしています。
 牧丘町も高齢化や後継者不足から耕作放棄地が増えているなかで、何とか町の活性化を農業を基盤に図ろうとしています。そのひとつの提案がこの週末農業実践スクールです。hototoではこの農業実践スクールの生徒たちにも有機農業の手段として生物活性水を野菜作りに活用してもらうこと、もちろん地域のブドウ畑にもふんだんに利用できるようにと、生物活性水プラントの設置に取り組みました。そして、生物活性水プラントの設置には、自分たちでできることは自分たちで手作りすることで費用をかけず、また生物活性水の作り方も身につけようとしています。
 プラントの構成は、ばっ気槽として醸造用の五千リットルのホーロータンクを利用し、全部で六基並べて設置しています。ばっ気用のエア供給は電磁ブロアを使い、微細な気泡がでる散気管を取り付けています。
 花崗岩、軽石をばっ気槽内に投入し、生物活性水の原料として、ポークランドのBMコンポを使います。設備工事完了後に培養調整に入り、六月上旬には、栽培への利用ができる予定です。

農業生産法人 株式会社 hototo
代表 水上 篤

 私がBMW技術に出会ったのはアメリカから帰った二〇〇八年秋、白州郷牧場を訪れてからである。
実家は山梨県の中山間部、富士山がよく見える山梨市牧丘町にある。私も果樹園三代目、祖母代から果樹(ぶどう)を栽培してきた。ここ牧丘も、少子高齢化がすすみ、耕作放棄地は二倍に増えた。兼業農家特有の後継者不足と、出荷金額の下落にともなって耕作放棄地は増え続けている。若者もいない、観光地でもない、農家の後継者もいない、兼業農家が多いこの山間部で私は今何ができるのであろうか?。そんな思いが芽生えた。
 私はこの牧丘に持続可能な風景をつくりたい。そんな思いから実家を中心とした、町づくりの計画を始めた。この牧丘を再度、巨峰で有名な産地として、品質を向上させ、八〇歳でも栽培できる方法で、牧丘の基幹産業として成立たせたい。そんな思いから私の一歩は始まったのである。
 しかし、慣行農法では、、農産物の品質はかわらない。村のみんなが無農薬で果樹を栽培するために、施設栽培の設備を整えることもできない。私の農園では今までEMで果物や野菜を栽培してきた。しかしこの方法では、村の人が資材のお金を負担しなくてはいけない。なんとか、町の人がお金をかけず、労力の負担が少ない方法で多くの面積の品質を変えていくことができるものはないか?っと考えていた。そして、以前からお世話になっている、白州郷牧場のBMW技術を思い出したのである。生物活性水をつかい、減農薬そして、圃場への活性水として使うことで、品質を向上させることを考えたのである。さいわい、村のぶどう園にはすべて畑のかん水用のスプリンクラーが設置してある。それを使うことで、村の広い範囲に生物活性水を容易に散布できる。そして、多少の農薬を生物活性水で希釈しながら使っていって、減農薬の限界を試みていく予定である。
 もちろん、目に見えて成果があるとは現状では思っていない。瞬時に効果があるほうが実はおかしいのではないかと思う。微生物をつかい、目に見えないスピードで何十年後に効果がでればそれでもいいと思っている。知識で頭を膨らますのもいいであろう。しかし、実際体験して使っていくことで、知識を超えた可能性を私は大切にしていきたいと思っている。自分で考えた可能性など、浅はかなものである。まずは体験し、そしてその中で、勉強し可能性を見出していくのである。そんなことの可能性がつまったBMW技術に私は夢をみたのである。

 農業には「生きることの希望」がある。希望を持って生きることができる場所、それが田舎である。その希望がいずれは都会を支えていく。心の中の自分を失ってしまった都会人に「生きることの希望」を提供できるのが田舎である。食べることへの希望である。そして不便や苦労する生活から楽しさを学んでいくのである。多くの人と作業を行うことで、思いやりを楽しむのである。都会を支えるのは人である。人を支えるのは心である。その心を支える唯一の鍵が農業にはある。日本は江戸時代から色々な時代を迎えてきた。
 江戸(起) 、戦後(承)、資本主義経済(転)、一〇〇年に一度の不況(結)。そしてこれから、「結」としての日本人らしい日本人としての最終章が始まるのである。日本人はまだまだ進化の途中なのである。もちろん資本主義経済から抜け出せない会社や人も多いであろうし、それに気がつかない人もまた多いであろう。しかしそれも時間の問題である。物を買うことに飽きてしまう。用意されたエンターテイメントに飽きてしまう。想像がつくような物語にも興味がない。白州郷牧場の椎名代表の言葉をお借りすれば、「すべてに飽きちゃう」のである。そのうちデフレにも飽きちゃう。だからこそまた新しい希望がそこから生まれてくるのである。アメリカ経済は急激なスピードで破綻を始めている。日本の希望「JAL」が一夜城のごとく、なくなってしまうのであるから、資本主義経済が作り上げた、価値や物は、グローバル経済と連動して簡単に壊れてしまうのである。しかし、そんな世の中だからこそ、希望を持ってできる農業を行いたい。

 日本は素晴らしい時代を迎えようとしている。
 まずは、一歩から。その一歩を踏み出すことは誰にでもできるはず。個人ができる範囲から、その一歩目を着実に進めていくことが日本の素晴らしい最終章を作り上げていくのだと確信している。BMW技術は進化の途中である。そしてBMW技術と一緒に、希望を生み出していくのである。
 私の一歩は間違いなく新しい未来をつくりあげようとしている。

Author 事務局 : 2010年06月01日15:55

 
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