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2006年06月09日

池田農場 生物活性水プラント



BMで環境に負荷を与えない暮らしを実践

島根県斐川町 池田健二さん

 出雲大社で有名な島根県出雲市と斐川町を分けて流れる斐伊川、この川は出雲平野に昔から大きな恵みをもたらしてきました。斐伊川の川沿い、斐川町に暮らす池田健二さん宅に生物活性水プラントが完成したのは2003年11月の事です。


 池田さんは農業が生業ではなく、現在はプラスチック製品屑を再生し、再び原料を製造するリサイクルを仕事としています。

自然の中で環境を守りながら暮らす大切さを語ってくれた池田夫妻。屋根裏にムササビが巣を作ったこともあるそうです

 池田家では両親がコメを中心にタマネギ栽培等の農業を営んでいます。しかし、池田さんと奥さんはほとんど農業の経験がありませんでした。ではなぜ、生物活性水プラントを家に作ったのでしょうか。

 きっかけは、池田さんが新聞で書籍「夫婦二人の農場を始めよう」(小野雅弘著/太田出版/1999年)の広告を見た事でした。この本は、退職後茨城県で自給的な暮らしを始めた田中一作、智恵子夫妻の暮らしを紹介したものです。田中夫妻は、トイレ、風呂などの生活雑排水を原料とした生物活性水プラントを全国に先駆けて導入し、生物活性水を使って野菜を作り、鶏を飼い、もち米作りまで行っています。

 タイトルに興味を持った池田さんは、本を購入し読んでみました。5年ほど前の事です。普段あまり奥さんと旅行などしない池田さんですが、田中夫妻の暮らしぶりに興味を持ち、二人で茨城県の田中さんを訪ねました。そして、BMW技術に大きな関心を持ちました。田中さんのところで見た堆肥は、それまで見てきたものと違ってさらさらしていて臭いもありませんでした。また、鶏小屋にも入れてもらいましたが、小屋の中も子供の頃の印象と違って臭くありませんでした。そして、何より関心を持ったのが、環境に負荷を与えない暮らしぶりでした。排水を外に出さずに生物活性水に変え、様々な形で利用する暮らしです。それ以来、「自分の所でもBMWプラントを作って・・」と思い続けたそうです。

以前は農機具小屋だったところを生物活性水プラントに

 一昨年の11月に完成したプラントは、田中さんと同じようにトイレなどから出る生活雑排水を原料にして生物活性水を製造するものです。トイレの流し水には、生物活性水が戻される仕組みになっています。

 できた活性水は現在、ご両親が畑作に使っているほかに、家の前にある田んぼで自家用のコメの有機栽培に使っています。昨年は稲の葉の色が少し悪いなと感じたので、葉面散布を行ったといいます。効果は、と池田さんに聞いてみると、化学薬品ではないのではっきりした効果は感じないが、畑作に生物活性水を使ったご両親は根のはりがいいようだといっていたという事でした。

田んぼにホタルが戻ってきた

家の前に広がる自家用の田んぼ。右から2つ目の駐車場の屋根には太陽光発電のパネルがのる

 家の前の自家用田んぼは池田さんが管理しているもので、オーバーフローした生物活性水がここに流れ込む仕組みになっています。この田んぼは農薬を使わない事もあって、生物が豊かです。小さい虫等が多種生息し、しばらくみられなかったホタルも今年から見られるようになりました。また、島根県のレッドデータブックで「要注意種」とされているモリアオガエルの卵も今年たくさん見られたということです。

 「稲(を作るのは)は楽しいです。夕涼みがてら田んぼの脇に立っているだけでも気持ちが落ち着きます」と池田さんはいいます。
 「絶やすまい、ホタルのひかり、赤とんぼ」これは、町の環境フェアーの際に池田さんが応募し、特選に選ばれた標語です。

 BMWプラントのほかに、太陽光発電を池田家では導入しています。今年、車も走行あたりの排ガスが少ないハイブリッド車に買い換えました。

 今後の事をうかがうと、生活面での生物活性水の利用を進めたい、現在小規模でやっている有機栽培の畑を増やしたい、そして鶏を飼って循環を作りたいと、主に3つの目標が返ってきました。

流し水に生物活性水が循環しているトイレ。奥さんによると水道代もこれで少し助かっているそうです

 生物活性水の生活面での利用については、池田さんが昨年出席した「BMW技術全国交流会」での発表「家庭におけるBMW技術」(永野華那子・アルファコープ)が刺激になったようです。鶏の飼育は田中さんの所を見学して以来、願い続けている事のようです。特に奥さんが希望していて、「烏骨鶏を飼いたい」と品種まで決めていました。しかし二人とも現在仕事を持っているため、なかなか実現までいたりません。

 環境に配慮した暮らしをしたい、と語る池田さん。その思いは、昨年病気をした後、さらに強くなったといいます。

 「うち一軒がやってもしょうがないかもしれんけど、誰かがやらんとね。すこしでも」と池田さんはいい、今後も自分でやれる事をやっていきます、と淡々と語りました。

(取材 長倉徳生)

Author 事務局 : 2006年06月09日 10:42

 
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