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2008年02月03日

「有機認証取得がはじまりました。」第4回 【193号】

第4回 ㈲ファーマーズクラブ赤とんぼ
山形県・高畠町  星 浩さん

有機認証取得日 二〇〇〇年七月
有機認証面積  一三六アール
有機認証団体  ㈱アファス認証センター
 
 BM技術協会では、これまで、自然生態系の保全・回復を目指し、資源循環型の農業技術の普及に取組んできました。二年前から会員の各産地で取組まれている~自然学を実践する~「土と水の学校」有機栽培講座では、BMW技術を活かし、有機栽培技術の確立を図ろうとしています。
 有機農業に取組み、有機JAS認定を取得している協会会員・産地にJAS認定取得の動機や経緯、現在の「有機農業」を巡る動きについて、どう捉えているかインタビューを行っています。第4回は、山形県・(有)ファーマーズクラブ赤とんぼの星浩さんです。 (まとめ:礒田有治)

―――有機農業をはじめられたきっかけをお聞かせください。
星 自分には子供が三人いるが、子供達がみなアトピーになってしまった。特に今、二四歳になる長女のアトピーが子供の頃ひどかった。昔はアトピーなんてなかったのに、何故だろうと色々考えた。結局、最後は食べ物じゃないかと思った。周囲の環境も勿論あるが、人の健康というのは、まず食べることから。食べ物というのは、まず安全安心が第一。どんなものが含まれているのか、その成分だって、よい成分とかを考えると、自分が農家をしていて、最低限できることは、昔ながらの有機農業を進めながら、まず安心なものという考えで初めたのが最初のとっかかり。
―――その頃、地域で農薬は、どうように使用されていましたか。
星 空中散布が多くて、その他にリンゴを始め果樹があって、皆さん消毒する。多収穫に向かって一生懸命やっていたから、病気が出る前に予防的に農薬を使っていた。どうしても消毒をすると、男の人はさほど感じないのだけど、女の人のほうが、農薬に最初にまいってしまう。頭が痛かったり、めまいがしたり。女の人に症状がでやすかった。
 また、労力不足で、川の周辺に除草剤とかをふってきた経過があるわけで、ドジョウやフナに肌がはげたものだとか、背骨が曲がったものが、一杯いた。それだけ農薬を使っていた。その当時は、はっきり目に見えたから、これは危ないと思った。今は、農薬会社の謡い文句は、人には、まず安全じゃないけど、そこそこ安全だよ、使用して食べ続けても大丈夫みたいなこと言う。でも、濃度が低くても、長くやられると、年取って、体の抵抗力が弱くなったときに出てくるっていうからね。だからそれが怖い。
―――そういうことに気づかれて、いつ頃から、農薬を減らすとか、有機農業に取組まれましたか。
星 もうその頃だから、二十何年も前になる。リンゴとかも消毒しないから、自然に良い物にならなくて、木を切ってしまった。ブドウも切ってしまった。それで、一つの作物に絞っていき、米を始めた。やはり、米っていうのは毎日食べるものだし、三度三度、食べて、それが、人の体をつくるものだから。
 米は、最初から無農薬ではじめた。昔から高畠町は米の栽培技術も進んでいたし、無農薬や有機栽培でも先駆者がいたので、比較的抵抗無く、始められた。ただしその頃は、肥料は完全無化学肥料という訳にはいかなかった。昔の有機というのは幅広いというか、有機肥料と書いたものに二%くらいは化学肥料が入っているというのが主流だったから。堆肥も、ここらは、牛の糞だけというのが主流だった。その頃、それは堆肥じゃなく、産業廃棄物を、ただ田んぼとか畑とかにまいているにすぎないのじゃないかと言われた。
そうしている時に、米沢郷牧場さんに、堆肥施設や、BMW技術が導入され、その堆肥や生物活性水を使い始めた。
―――有機認証を取得した動機をお聞かせください。
星 販売面とか、農業の経営にプラスになるとか、いろいろ考えて、取得した。今、テレビとかで偽装とか騒がれているように、安心だと信じていたことが、違うかもって、一杯あるでしょ。やはり自分のしていることをきちんと打ち出していくには、それじゃだめだって思う。いくら言っても、世の中で認めてくれないからね。きちんとした認証機関で認めてもらい、そんな中で、農業とか有機とかを世の中で訴えていきたい。
―――大手スーパーが、有機認証農産物の取扱いの拡大を進めていく動きがありますが、どうように捉えておられますか。
星 有機農業で栽培したものを、大手スーパーとかで扱われるのは良いことなのだけど、みんながその価値を認めてもらって、正当な価格として購入してもらえるかということだよね。だけど、地域格差があるので、地方のスーパーで販売する場合は、そこそこの値段でないと難しい。東京では、ある程度余裕があって、色々買ってもらえるが、東京にだけ広まっても、何のために自分は、安心安全なものつくっているのかと思う。東京人だけに食わせるためにやっているのかと。やはり、地域の人にも、いいものを食べながら、食に対して考えを持ってもらえるようになってほしい。そこのところは、はがゆいところが一杯ある。地元のスーパーに地場野菜のコーナーを設けているところがあり、たまに買い物に行ったときに、黙って見ていると、みんな手にとってみたりしているのだけど、カゴの中に、なかなか入らない。
―――本当は、地域の方々にもっと理解してもらいたい。
星 うちの田んぼの先に高畠高校がある。その生徒も田んぼに来るのだけど、有機をやっていると言うと、生徒に与える影響も強い。高校の総合学科に、田んぼの授業がある。授業を通じ生徒の中には農業を学びたいという女の子がよくいる。そういう食物を学びたいって。どうしてかと聞くと、やっぱり食べ物に関心がある。先生も、高校の周辺では有機栽培をやっているということを、授業で教えている。そういう有機栽培や、食べ物の安心安全っていうことも、小さい子供のうちから、教育の一環として進めてもらえれば、地域の取組みを、頭で考える勉強となって、良い授業になるのではないかなと思う。やっぱり小さい頃から、そういうことを教えたり、食べさせたりすれば、全然違うのじゃないかな。
―――消費者に対しては、どういうことを理解してほしいと思われますか。
星 一番は、日本の食べ物は安全だって思い込んでいることだよね。そういうのが一番問題ね。中国のものは危ないって日本人は思っているのに、日本のものを危ないと思わない。多分、そこの違いだね。やはり、これから消費者が、JAS有機が表示されているのを見て、良いものだってことを思ってもらうような努力をしないといけない。そうでないと、有機だとか書いても駄目だと思う。そういう運動とかをしないと、前に進まない。
―――有機農業推進法ができましたが、行政に対してどのような要望がありますか。
星 行政に対して、一番要望したいのは、まず長期のビジョンを持ってもらいたい。それさえあれば、今の農家もそれに対応しながら、一〇年後、一五年後の農家っていうのを打ち出せるって思う。

Author 事務局 : 2008年02月03日 13:43

 
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