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2011年04月01日

【AQUA229号】フィリピン、KFRCをBM技術協会・白州郷牧場スタッフが相次いで訪問

肥育用豚舎の増築と飲水改善タンクの設置工事開始

 早朝五時半。カンラオン火山の頂上から朝日が昇り始める頃、牛や水牛が研修生をたたき起こすかのように鳴き出し、放し飼いのアヒルや鶏が農場を駆け回り始める。朝露に濡れたバナナの葉や野菜畑には、まだうっすら霞がかかり、新鮮な緑の匂いが立ち込めてくる。
 小屋から三々五々、寝起きの研修生が畑に飛び出していく。六時には、まるで「メシの時間だぁ」と言わんばかりに、静まり返っていた豚舎から盛大な豚たちの大合唱が始まる。
 動物たちは研修生にとって自分の家族のようなものだ。牛やヤギを草場に繋ぎ、二〇〇羽を越える鶏やアヒルにエサを与え、日差しがやわらかい早朝のうちに野菜畑の草取りや収穫を始める。炊事当番は、台所から「おーい、カボチャとニガウリもってきて〜」とおかずになる野菜を畑に出ている仲間に叫んで、せっせと八人分の食事の支度にかかる。人間がやっと朝食にありつけるのは、太陽が高くなった八時過ぎである。カネシゲ・ファームの朝は毎日こうして始まる。
 草だらけの農場を開墾してから今年三月で一年八ヶ月を迎えた。
 「開拓者」の第一期研修生六人は昨年九月に卒業した。四人はそれぞれ出身地に戻り、農場から連れて行った豚やヤギ・鶏を増やしながら、小さな有畜複合の農業を実践している。一期生のうち二人は養豚技術や農場運営を将来担いたい、と農場に残り、次に入った二期生たちと兄弟のように寝食を共にしている。
 農場の循環の核であり、経営的基盤にもなる養豚は、最初に導入した子豚二四頭が母豚に成長し、二回目のお産を迎えた昨年の暮れからようやく順調に計画だった運営ができるようになった。昨年は交配技術が不足していたため、生まれてくる子豚の数がまちまちだったが、昨年暮れからは毎月二〜三頭の母豚が平均一二頭〜一三頭を出産、死亡率も一〇%を割るまでになった。
 子豚や肥育用豚あわせると常時一〇〇頭ほどの豚舎の洗浄に、毎朝五〇トンタンクからの生物活性水がポンプで惜しみなく使われている。その洗浄水(糞尿)は再び第一槽のプラントに戻り、バイオガスを作り、生物活性水タンクへと流れていく。食事当番のたびにバイオガスで自慢の豚肉を料理する研修生エムエムの口癖は「豚の力はすごいなぁ」。

 昨年一二月、BM技術協会がよびかけた一〇人の訪問団がカネシゲ・ファームを訪れた。副理事長の伊藤幸蔵氏、常任理事の椎名盛男氏、清水澄氏、向山茂徳氏に加え、黒富士農場の水上勝利氏、山梨大学の御園生拓氏、ジーピーエスの小川年樹氏、長野県炎屋(かぎろひや)の宇野俊輔氏、事務局から井上忠彦氏、秋山澄兄氏というBMW技術の大先輩たちから、きめ細かい指摘や愛情溢れる提言や感想を頂いた。
 五ヘクタールの農場を訪れる人は通常一時間もかからずに視察するが、上記の先輩たちはじっくり三時間以上もかけて、まるで自分の農場のように隅々まで丁寧に見てくださった。そして「カネシゲ・ファームは心配しなくても大丈夫だよ」という言葉にスタッフや研修生は大いに励まされた。
 今年二月には、匠集団そらの星加浩二氏と岸直樹氏が、バイオガスの研修で訪問、続いて白州郷牧場の元気なスタッフ四人が農場で作業を一緒にしながら研修生と交流した。
 カネシゲ・ファームの研修生は四人のために仕事を用意し、まずは内藤光さん、坂田裕美さん、土橋貴法さん、白崎森夫さん全員が子豚の去勢に挑んだ。使用するのは薄い髭剃り用カッターのみ。「傷がすこし大きかった」と担当のジョネルは消毒液を大量にかけていたが、これは問題なく完了。続いてカラバオ(水牛)を使った野菜畑の耕作。最初は水牛の扱いになれず牛も人もヨロヨロで、農場の研修生たちは大笑いだったが、そのうちカラバオと気のあった坂田さんと土橋さんは上手に土を起こしてくれた。この畑には今、青梗菜が目をだしている。
 「白州郷牧場とカネシゲ・ファームを兄弟・姉妹農場にしよう」と最後に皆で話し合った。若い研修生たちは日本に同世代の農業の仲間が生まれたことが「ものすごくうれしい」と語っていた。

 現在農場は、肥育用豚舎の増築と飲水改善タンクの設置工事で忙しい。今年に入って毎月三〇頭以上の子豚の出産が続いているが、農場に買い付けにくるバイヤーたちの注文に出荷が追いつかない状況が続いている。飲水改善タンクが完成すれば、これまで人力で飲水を飲ませていた労力が軽減し、鶏・牛・ヤギとすべての動物に改善された飲水を常時飲ませることができる。
 農場のこうした設備が完了する今年四月から、近郊の農家や関心ある農民を招いて、カネシゲ・ファームの経験を外につなげていく「ルーラル(農村)キャンパス」(農民学校)を本格的に開始したいと考えている。

 農場には故兼重さんの石碑がある。研修生たちは毎週一回、落ち葉を拾い、花の手入れをしている。一七歳〜二〇歳の研修生たちは、兼重さんが足繁くネグロスを訪ね、民衆貿易や循環農業の道筋を作ってくれた時期に生まれた子どもたちだ。今年は、日本でネグロスキャンペーンが開始されてから二五年目を迎える。紆余曲折の二五年だったが、これからのネグロスの農業を担っていく二〇代の若者たちが着実に育っていくこと、そしてもっと多くの若者が、のびのびと学びあい、将来は彼ら自身が運営する農場をスタッフたちは夢見ている。

報告:APLAフィリピンデスク大橋 成子

Author 事務局 : 2011年04月01日 23:55

 
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