« 【AQUA230号】東日本大震災 被災報告 | メイン | 【AQUA231号】福島の放射能汚染地域を訪問して »

2011年06月01日

【AQUA231号】被曝食のすすめ

〜人間は「予定調和」から外れたもののようだ。


 家を建てた。還暦を過ぎ、野戦野営に疲れ果てたのである。家は地熱を利用するという床暖房とオール電化である。歳とって寒いのは敵わないし、電気・ガス・灯油と分けての支払いは億劫だからである。その最中に3・11が来た。唖然として「オール電化などという、なんて馬鹿なことをしたのだ」と呆然とした。
 七年前から麹を作っている。キララの季節の学校で味噌を仕込むので麹も自前で作りたかった。
 麹の師匠から「一〇〇回仕込め!」と言われ、一五キロの米を一〇〇回麹にした。その麹をどうする?味噌を仕込むしかないではないか。だから、平成一七年の五ヶ月、麹を仕込んでは味噌を仕込むことをひたすらやっていた。六トンあまりのその味噌も今年三月ようやく使い果たした。この間、カビについて、麹について、発酵について、私なりに少しは勉強し実験してきた。加工所は牧場の代表が「現金を持っていても仕様が無いだろう」と言うので当時の有り金を使い果たして建てた、老後の「遊び場」だと思っていた。

 誰も公式には言わないけれど、福島原発の状況は人類史上最悪の事態となっている。最悪というのは多くの死ぬ人が出るということである。死の分母は三〇〇〇万~四〇〇〇万だそうである。
 学者・知識人・政治家・官僚・マスコミの見解・意見・言説を数多く見たり聞いたり読んだりした。しかし、「それで、これからいったいどうすればいい?」という問いに答えるものは少ない。

 原発の事態が報道された時、「希望は、広島・長崎にあるのではないか」と密かに思った。本当らしい。要約すれば、
1、玄米を食べる。糠に含まれるビタミン・ミネラルを取り入れる。しかし、糠にアブシジンという毒素があって、これで胃などがヤラレる。一二時間水に浸して置くと「発芽状態」となり、この毒素が外れる。無農薬の米は手に入れにくいので、普通の玄米は、浸すとき昆布を入れると農薬を吸着してくれる。この島は二〇〇〇年前から「瑞穂の国」なのである。
2、塩は天然塩を使う。生物は海から陸に上がってヒトになった。海を身体に持っているのである。
3、味噌は毎日食べること。発酵の過程で生成される酵素を取り入れる。生状態が良い。酵素は熱に弱い。熱しすぎないこと。野菜に生味噌をつけて食べると良い。大腸は「第二の脳」とも言うという。
4、砂糖は控えること。白砂糖の入ったものは食べないこと。血液に一%の白砂糖溶液をかけたら赤血球が溶けてしまう、と言う。
5、牛乳は飲まなくてもよい。アメリカのハーバード大での一二年間、七万八〇〇〇人の婦人の骨密度の調査の結果、骨粗しょう症と牛乳が深く関係するという発表があった。牛乳はカルシウムとたんぱく質が共に多い。これが同じ食物のなかに入っていると、結合が強く、カルシウムもたんぱく質も全く動きがとれなくなるためと言う。牛乳は四つの胃を持った牛の赤ちゃんのためのものなのである。牛乳を利用するなら、発酵させて造るチーズやヨーグルトがあるではないか。

 これらは、長崎の爆心地から一・四キロメートルの地の病院で、秋月辰一郎医師の食実践により、七〇人の患者と医療従事者が被曝症にならなかった。という実話を基とした、「日本を放射線被爆から守る会」の「放射能汚染から命を守る最強の知恵」((株)コスモ21、発行)からである。表題から、ともすれば感じる奇矯な内容ではない。詳細を知りたい人は読んで欲しい。

 放射性物質は、太陽や風や水(海水)と同じで県境も国境も無い。現在、世界には四〇〇基以上の原発があるという。それが事故でなくとも微量に放射能を常時吐き出している。
 北の海に南の魚がいるという話を聞き、「二酸化炭素の過剰排出で温暖化し海も温まったのか」と思っていた。そうではない。「電気出力が一〇〇万キロワットの原発は熱出力が三〇〇万キロワットあり、その差の二〇〇万キロワットは、温排水として海に捨てられている。その量は、一秒間に七〇トン。海水を七℃上げている」(PKO法「雑則」を広める会、「未来に続く命のために原発はいらない」より)そうだ。海が温かくなるのは当たり前である。愚かなことに、私はそれを読み知ったのも今回初めてである。
 極論では無いと思う、厳密に言えば「逃げ場」など無いのである。だから、「反原発・脱原発」が大切なのだろう。
 徹底して「身体の自衛」をするべきだと思う。其れしかない。庶民は「棄民」されて来たのだ。ここまでされて、尚、「他人の頭に頼るな」と言いたい。「誰もなんともしてはくれないのだ」ということを、今回の原発は身に沁みて知らせてくれたではないか。そう自分に言い聞かせている。
 自然は「予定調和」するという。「独立し各自の内的法則によって自己発展する存在(単子)が、相互に対応し、世界の秩序が保たれる」という説らしい。自然には神様がいるのだろう。人間の世界もそうであればよいが、しかし、人間は自然ではなく人工物のようだ。そう考えれば、この七〇年の核利用の有様と結果がわかる気がする。子どもは「自然」だと言うけれど、自然から離れることを人は「成長」と言う。そしてそれを願う。いっそ老成してしまえば良いのである。それで「自然」に近くなるだろう。
 わが身を振り返らず、私は怒っている。年寄りは、子供たちや若い人たちが、殺されずに生き残る道を学び、考え、実践するしかない。今回は、「怒り」を持続させるべきだと、そう思う。
(白州郷牧場「白州だより」より転載)

山梨県 白州郷牧場・キララの学校 見田 由布子

Author 事務局 : 2011年06月01日 01:51

 
Copyright 2005 Takumi Shudan SOLA Co.,Ltd All Rights Reserved.