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2011年09月01日

【AQUA234号】低線量放射線汚染地区で暮らす

 私が今住んでいるところは、つくば市の隣で牛久沼がある茨城県牛久市です。ここは、放射線量が高いホットスポットとなった我孫子市、柏市に放射能物質が流れ込んだ経路の途中にあたります(下図参照)。(http://gunma.zamurai.jp/pub/2011/18juneJG.jpg)
 三月一四日の東京電力福島第一原発事故で原子炉建屋内の水素爆発から市内は放射線汚染が始まりました。と言っても全く実感がともないません。放射線が日々の暮らしの中では見えないからです。毎朝届く新聞に掲載されているつくば市の空間放射線測定値は、〇・一五μシーベルト/時前後で推移しています。3・11以前は、〇・〇六マイクロシーベルト/時だったので二倍強の空間放射線値です。それまで放射線値なんかを気にかけて暮らしていなかったのが一変して、低線量放射線汚染地域になってしまったのです。もちろん福島県の避難指示地域に比較すれば、低濃度ではあるけれど、ゼロではないのです。福島第一原発から一六〇km離れた牛久市に放射性物質がこんなに降り注いでいるとは考えが及びませんでした。私の息子は中学三年生で、原発事故が起きた三月は野球部の部活動で連日グラウンドで練習していました。学校や教育委員会からの警告などは一つもありませんでした。やはり心配なのは放射能物質による外部被ばくより、グラウンドの砂埃などを吸い込んだ時に放射性物質を一緒に体内に取り込む内部被曝です。子供たちには、汚染の程度は低いのですぐ影響がでることはないが、将来何らかの影響はでることを覚悟しなさいと、親としては転校させるとか何の対応もせず無責任ですが話しています。汚染程度はかなり低いので福島県で今も住み続けている人たちに比べればおこがましいでしょうが「ヒバク」してしまったということです。
 行政による、市内各小中学校幼稚園などの校庭での空間放射線量の測定が始まり、数値が高い校庭の土は除去することになりました。
 行政も動き出していますが、被曝してしまったことに対応するすべが無いように思えます。
 福島県内の公立小中生の一割は転校する事態になっていますが、近所に住んでいる人たちからは県外へ避難するようなことは聞えてきません。それも放射線が見えないことに他ならないと思います。戦中の学童疎開は、もちろん国の指示があったからでしょうが、空襲から子供たちを守るため実体がある爆弾から守るため都会の学童が危険地帯から逃げ出したのだと思います。しかし放射線は目に見えません。実体が分からないということがこんなにも自主的な行動あるいは行政の行動を起こさせないということがわかります。

 京都大学原子炉実験所の今中哲二助教は、朝日新聞(六月二九日朝刊)の私の視点に、「汚染の中で生きる覚悟を」と題して『・・・・・放射能をどこまで我慢するか。この難しい判断を市民一人ひとりが迫られている。それは福島県だけのことではない。東京もそれなりに放射能に汚染されている。・・・・・私たちはもはや、放射能汚染ゼロの世界で暮らすことが不可能になった。これからは、放射能汚染の中で生きていかなければならない。その事実を受け入れたうえで対策を考えなければならない。』
と書いています。
 起きてしまった事、過ぎてしまった時間はもう取り戻すことができません。私たちはこれから先の長い時間を好むと好まざるを得ず、誰も共生したくないと思っても放射能と共生していかなくてはなりません。低濃度放射線汚染地域で当分住み続ける覚悟を決めた以上、放射能汚染から家族を守る手立てを考え、自力でできるところから取り組んでいかなくてはならない、と考えています。

㈱匠集団そら 星加 浩二

Author 事務局 : 2011年09月01日 11:47

 
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