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2011年10月01日

【AQUA235号】「二重被爆 〜語り部・山口彊の遺言」パルシステム上映会 報告

 長崎の原爆投下から六六年。今年も長崎の平和祈念式典が八月九日に開催されました。その日に合わせる形で、パルシステム連合会では、「二重被爆~語り部・山口彊の遺言」のドキュメンタリー映画上映会が行われました。参加者はパルシステムの組合員、職員約八〇名。

 冒頭、司会者より、「今日八月九日はどんな日か知っていますか?」という問いかけから始まり、広島・長崎の被爆の簡単な説明の後、上映会が始まりました。
 このドキュメンタリー映画は、一九四五年八月六日の広島と八月九日の長崎で二重に被爆した山口彊さんの生き様を記録した貴重な映像です。広島・長崎の二つの都市に投下された原子爆弾は、一般の市民、あわせて二〇万人余りが一瞬のうちに亡くなり、いまも原爆症に苦しむ人が三〇万人もいます。そして、被爆後六六年、歴史の闇に埋もれていた「二重被爆者」の実態を赤裸々に記録する映画となりました。広島、長崎の両市で二度も被爆に晒された事実は長年の間知られていませんでした。政府も聞き取り調査を実施していませんでした。
 山口さんは長年、家族を差別から守るために、二重被爆の事実を語らずにきました。しかし、九〇歳になると、被爆の悲惨さや反核の思いを勇気をもって訴えようと、「語り部」という立場を選んだのでした。とくに、若い人たちに原爆の体験を知ってもらうために、地元長崎の学校をまわり、直接、中高生の前で語り始めました。この悲惨な体験を若者たちにバトンタッチしたいという思いからでした。さらに、反核の声は世界にアピールしなければいけないと、九〇歳で初めてパスポートを取得し、アメリカ・ニューヨークの国連本部に出向き、軍縮会議で演説することも行ってきました。しかし、米国では、原爆の投下は戦争を早く終わらせ、兵士の犠牲を少なくすることに貢献したという議論が主流です。それでも、一部の米国市民や若者たちは、山口さんの語りに直に接することによって、共感する姿も映像が捉えています。
 山口さんは二〇一〇年一月にお亡くなりになりましたが、この映像は、山口さんの反核への強い思いと、世界に訴え続けてきた歴史的な証言が数多く綴られています。

 上映会終了後は、BM技術協会より、八月二六日開催の「BM基礎セミナー」で、特別講演『内部被ばくによる晩発性障害とフクシマのこれから』(講師:肥田舜太郎さん)の紹介がされています。

山口 彊さん(一九一六~二〇一〇)
 長崎市生まれ。旧制中学校卒業後、一九三四年三菱重工長崎造船所に製図工として入社。一九三七年には設計技師となる。一九四三年久子と結婚。長男は病死。一九四五年二月、次男 捷利誕生。五月から三カ月間広島へ出張。長崎へ帰る前日、八月六日に爆心地から三キロの地点で被爆し、大火傷を負う。避難列車で長崎に帰った翌日、八月九日に造船所の設計事務所で二度目の被爆。映画は二〇一一年七月より全国で上映公開。

BM技術協会 事務局 大田 次郎

Author 事務局 : 2011年10月01日 11:52

 
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