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2012年01月01日

【AQUA238号】TPPとは何か

 TPP(環太平洋パートナーシップ経済連携協定)問題がマスコミを賑わせている。あたかも国論を二分する議論のような扱いだが、ことの本質はどこにあるのだろうか。「工業VS農業」、「開国か鎖国か」など二項対立の図式は、事態の進行を別のところへ誘導する政府・大手メディアの意図を感じる。TPPは、小泉政権時代に叫ばれた「構造改革」「規制緩和」「郵政民営化」などの路線の延長上にある議論なのだ。そのことが意図的に隠されているのではないか。「TPP推進派=改革派」「TPP反対派=既得権擁護派」という対立に収斂させたい意図がミエミエである。「抵抗勢力(既得権擁護)と戦う正統派」の図式を描きたい野田政権=「改革派」の側にはうってつけの構図なのである。
 ご存知の通り、小泉・竹中「構造改革」は、日本の経済構造を米国流のグローバル・スタンダードに従属させることによって容赦のない競争社会を作り上げてきた。市場経済の規制を取り払い、金融、労働、郵政、公共サービス等の自由化を狙った。しかし、この「改革」は、弱肉強食の競争社会からはじきだされた大量の貧困層を発生させ、金融市場の暴走を招き、僅かな富裕層に利益をもたらす格差社会を築いたことを忘れてはならない。日比谷公園の派遣村に炊き出しを求めて長蛇の列ができたのはつい三年前だった。その後も失業者の増加は止まらない。だが、二〇〇八年のリーマン・ショックに至り、歯止めのない「構造改革」は一定の決着を見たと思ってきた。しかし、あれから三年、主要先進国は、政府の莫大な財政発動と、中国などの新興諸国の経済発展とその市場の助けによって、何とか切り抜けたように見える。そこで「構造改革」はまた息を吹き返してきたのである。

 ブッシュ元大統領や小泉元首相の構造改革路線を裏付ける思想は、「新自由主義」(ネオ・リベラリズム)と呼ばれてきた。その思想の復活がTPPに反映されているのではないか。五〜六年前に発刊されたデヴィッド・ハーヴェイの「新自由主義」(作品社)をもう一度ひっぱり出してみよう。詐欺まがいの金融工学が闊歩した時期に、資本主義の本質を捉えた著作として高い評価を得たものであった。新自由主義といえば、グローバリゼーションを特徴づけるものである。グローバルな市場が企業の競争を激化させる。国際競争力をつけるには規制緩和や法人税削減で財政コストを抑え、福祉や教育、医療、社会保障、保険など社会資本のコストを削減することが必要である。この実態はすでに米国でも日本でも政策的に繰り広げられてきたことだ。TPPはこれをあらゆる分野に適応させようとするものである。ハーヴェイにとって「新自由主義」は、単なるイデオロギーや政策ではなくて、「階級権力の再生」のための政治・経済プロジェクトなのである。その新自由主義(ネオリベラリズム)は、TPPを持ち出して再び蘇ろうとしている。新自由主義は単なる市場原理主義と解されるべきではない。新自由主義は資本主義経済の再配分を止め、経済システムを不安定化させながら、貧富の格差を拡大するものだ。それには当然のように労働者側の反発と再分配の不公正をただす対抗アクションが登場する。ニューヨークのウォール街の「占拠」やEU圏での「1%の富裕層に99%の貧困層」の非対称性を覆い隠すために、強権的な政治体制が必要だ。これまで新自由主義は、市場原理主義=小さくて国家の干渉のない政府というイメージで語られていたが、新自由主義の形態にはさまざまな顔があることも知られてきた。(もともと新自由主義の生地はチリのピノチェット軍事独裁政権だといわれている)「政治・経済の絡み合い」である新自由主義は、さまざまな顔で登場する。その一つの形態が地域のブロック経済への取り込みである。環太平洋やアジアを巻き込んだTPPの世界戦略は、米国を中心とした新しいブロック経済圏を作ることにある。戦争なしには経済が回らない米国には軍事力を背景にした「自由貿易」以外に術はない。米国がアジア地域の経済圏に神経を尖らせるのは、むろん、巨大化する中国を意識してのことだ。TPP推進のためにしばしば「アジアの新興経済を取り込む」という議論がでてくるのはこのためである。
 「経済の閉塞感に悩む日本が、それを打ち破り成長戦略を描くには『外に向かって開く』しかない。TPPは非常にいいチャンスだ。TPPは現在、交渉参加を表明している国だけでも、世界のGDPの約四割を占め、世界最大の経済連携協定になる。将来的に、中国を含めたアジア太平洋地域全体の経済連携につなげていくためにも、TPPを土台にする方法がベストだろう」(伊藤元重東大教授:一〇月三〇日付日経新聞)
 「アジア太平洋地域全体の経済連携」とは、旧鳩山政権の「アジア共同体構想」(もともと中身は何もなかった)の延長にもとれるが、米国の戦略的意図を無視して、日本が自前のアジア戦略を語るのは土台、無理な話だ。ましてや当の中国はTPPへの日本参加に冷ややかだ。経済のブロック化とそれにともなう摩擦がどんな事態をもたらすかは歴史が示す通りである。(一九三〇年代後半の第二次世界大戦は、アジアでは欧米列強・日本などブロック経済圏の衝突だった)
 いっぽう、TPPについては、誰が損をして誰が得をするのかという議論が活発に行われている。「例外なき関税撤廃」から想定される損得については、多くのメディアの取り上げるところだが、TPPは、むしろ、日本の未来を考える上で、私たちがどういう生き方を選び、どういう経済選択をするかということにある。輸出依存型の日本経済は、たしかにこれまでの経済成長の基本だった。だが、それはもう見直す時期にきているのではないか。「グローバル」の対抗概念に「ローカル」という言葉を使うなら、実際に人間が住む社会は地域である。地域が豊かに幸福になること、これを目標とするなら、工業製品の輸出や海外市場への進出といったこれまでの成長戦略こそ見直されるべきではないか。
 『毎日新聞』の位川一郎記者は、一〇月二一日付の「記者の目」でこう書いている。
 「輸出や海外進出に依存した経済成長はもはや国民を幸福にしないのではないか。(中略)むしろ、中長期的な政策の方向としては、国内の需要に注目することのほうが重要であろう。供給過剰(需要不足)の日本経済だが、環境、自然エネルギー、福祉、食などのように、供給が足りない分野はまだ多い。むやみに海外へ販路をもとめる前に、国内で必要な製品・サービスが十分供給にされ、雇用も確保される経済が望ましい。同時に所得配分で格差を是正すれば、中間層の厚みが戻り、個人消費が増え、景気回復の力にもなる」
 まっとうな主張である。3・11を受けて、将来の道筋を描くには、日本経済の進路を根本から変え、TPPの本質である新自由主義路線から大胆な転換が問われているのだと思う。

----TPPについては事務局大田の個人的意見であることを付記しておきます。
BMW技術協会 事務局 大田 次郎

Author 事務局 : 2012年01月01日 12:04

 
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