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2012年04月01日

【AQUA241号】やまなし自然塾が「みやぎBM技術協会」を訪問しました

 一月三一日〜二月一日の二日間、山梨県のやまなし自然塾のメンバーが宮城県のみやぎBM技術協会のメンバーの圃場や施設、被災地を訪れました。私も同行させてもらいました。雪が降り落ちる中、みやぎBM技術協会の西塚会長(大郷GF副代表)の案内で最初にあいコープみやぎへ。七郷みつば会の生産者の方々や吉武理事長、小野瀬副理事長はじめあいコープみやぎの皆さんと交流をおこないました。七郷みつば会の仁平さんが当時の状況から現在にいたるまでのことを話してくれました。みつば会は仙台市内中で津波の被害がもっとも酷かった地域にあります。仁平さんは「同じ地域内で海岸から二キロ以内にあった一二〇軒の家は全部流された。幸い、自分の家は二キロより若干内陸側なので家は流れなかったが圃場は全部ヘドロや瓦礫混じりの海水を被ってしまった。ハウスの被害も大きかった。死者が多く、被害も大きかったので半月ぐらい地域は閉鎖されたままで戻ることができなかった。入れるようになってからは、とにかく片付けの毎日。多勢のボランティアの方々が手伝いに来てくれた。復興をあきらめかけていたがボランティアや生協の方々の支援によって励まされ勇気づけられた。田んぼは今年も無理だが、来年ぐらいには何とかやれそう。ほうれん草や白菜などは作れるようになってきた。周辺地域の復興は水田、用排水の整備にかなりの費用がかかってしまうので、小さな区画を一町歩ぐらいに集約することを国は推進しているとのこと。この地域の農業が大型化などしていけば、個人でやっていた人たちは厳しい状況になっていく。グループでやっている生産者はなんとかやれるのかもしれないが、亡くなった方もいる中でここ荒浜の三〇〇ヘクタールを誰がどうやって生産していくのか不安が残る。」と話されました。塩水害の問題は東北大学やあいコープみやぎの千葉さんを中心に、七郷みつば会のメンバーの圃場で重金属などの残留がないかを徹底的に調べあげたとのことでした。さらに放射能汚染の問題もあり、復興への道はまだ険しく遠い感じを受けました。翌日は石巻の被災地を視察、高橋徳治商店を訪問し、高橋社長から当時のことから現在に至るまでのことやこれからのことを聞きました。高橋社長は「自分の会社の被害は二億八千万円ほどの被害。あまりにも酷い状況に再開する気はなかった。(中略)震災後から延べ一四〇〇人のボランティアや生協の方々、近県の生産者の方々が片付けや復旧作業を手伝いに来てくれた。それでも明日が見えない毎日、死のうかとも思った。そんな日々を越え一〇月一日にやっと第一工場が復活できた。(第二工場は壊滅)」と話された。さらに石巻地域では被害に遭った方々のメンタルの問題、インフラ整備や瓦礫(石巻地域だけで六〇〇万〜八〇〇万トン)処理を請け負うゼネコン主導の復旧、放射能汚染問題を顧みることのない漁協の対応など、テレビのニュースや新聞では中々見えてこない現場の声を聞くことができました。この後には、あいコープみやぎさんの運営する福祉施設「わ・は・わ大郷」の生物活性水プラント、西塚会長のプラントと鶏舎、大郷GFのライスセンターなどを視察しました。西塚会長は昨年の全国交流会で被災状況の報告をされましたが(アクア一二月・一月号参照)、西塚さんは「復旧のめどがついてきたばかり、これからは復興を進めて行かなければならない。復興の方が大変だと思う。震災後の一ヶ月は今日、明日食べることしか考えてなかった。津波の被害が大きかった地域から野菜や卵を求めて来る方もいて、みんなでわけあって助け合った。生協や協会からの支援もあり、やっとのことでここまで来られた。震災を経験して、人は支え合っていきていることを実感し、謙虚な気持ちを持たなければいけないと思った。」と話されました。仙台を後にする新幹線の中で、やまなし自然塾の小澤会長や向山協会常任理事が「やはり現場に来て、現場の声を聞くことが大切だと実感した。今まで認識していた状況はもちろんそうだったが、わからなかったことの方が多かった。『本物を作る』という志とそれを支える人達がいるからこそ大災害からここまで来られたのかもしれない。」と話していました。地方協会(地方事務局)同士の交流は今まで多くはなかったように思いますが、今後このような形も含めて交流活動も協会としてサポートしていく必要性を大きく感じました。(報告:BMW技術協会事務局 秋山澄兄)

Author 事務局 : 2012年04月01日 22:13

 
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