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2013年04月01日

【AQUA252号】フィリピン・ネグロス視察ツアー報告

 二月一一日〜一五日の五日間、フィリピン・ネグロス島において視察ツアーが開催されました。参加者は伊藤理事長を団長に、米沢郷牧場グループ、やまなし自然塾、㈱豆伍心、謙信の郷、福島県二本松市の有機野菜の生産者、BMW技術協会、APLA事務局の各団体から計一二名。カネシゲファームでは研修生や現地のバナナ生産者、日本へバナナを輸出しているオルタートレード社(ATC)の担当者などと交流を深めるとともに、二日に渡り、総勢約四〇名で学習会(ルーラルキャンパス)が開催されました。

◆第一日目 成田からマニラへの移動
 マニラ空港到着時の気温は約三〇℃、成田を出発する時の気温は六〜七度、中には大雪の中から参加したメンバーもいて、気温差三〇℃の移動となりました。

◆第二日目 ネグロス島へ移動、
カネシゲファーム(KFRC)へ
 到着してすぐにファーム内の見学。豚舎、バイオガスとBMW技術(生物活性水)の連結プラント、そしてバイオガス発電、ランポンプ、畑、兼重氏のお墓と、アルフレッド氏の説明を聞きながら、ひとつひとつをじっくりと見学、時折質問が止まらなくなってしまう時もあり、皆熱心に見学していました。見学が終わり、一息入れたところで翌日の昼食のための豚を絞めることに。台に乗せられた約四〇kg前後の子豚、代表して二本松市の大内督さんが動脈にナイフを入れる。滴る血をバケツに入れ(この血はヤシ酢を加え、内蔵を煮込む料理になる)、皆、順番で毛を剃りはじめる。さすがに皆の顔が若干強張っていたのが印象的。「命」いただきます。この子豚はじっくり丸焼きにして、翌日の昼食になる予定。
 夕食後、カネシゲファーム・ルーラルキャンパス第一弾のはじまりです。一日目は日本からのプレゼンテーションということで全員の自己紹介が終わった後、伊藤理事長から「地域循環とBMW技術」と題して話しがありました。地域未利用資源の活用、有畜複合循環式農業とBMW技術、地域づくりなど米沢郷牧場グループでの取り組みをベースに、カネシゲファームの研修生にわかりやすいように説明がありました。
 次に福島からの参加者の話がありました。はじめに大内さんから東日本大震災直後の原発事故による放射能汚染の被害状況、現在に至るまでの経過の報告がありました。大内さんは少量多品目の有機野菜と米を栽培、福島県内を中心に顧客を抱え、セット野菜を独自に販売しています。
 「震災直後は物流などがマヒしていたこともあり、顧客に野菜を提供することが非常に喜ばれた。数日後から放射能汚染の問題が浮き彫りになり、顧客がひとり、またひとりというように離れて行ってしまった。畑の土は汚染され、作るべきか、作っても食べてもらうことへの複雑な思いが交錯し苦しかった。今でもその思いに駆られている部分はある。放射能検査などを徹底し、公示することにより震災前のようにとは言わないが、徐々に新しい人達を含め、お客さんが戻ってきている。県内の若いお母さんたちのグループなどが買い始めてくれている。でも、まだまだ先行きは険しい、あきらめずに頑張っていきたい。」
 続いて、鎌田恭之さんから震災直後の数日間の状況、現在に至るまでの報告がありました。鎌田さんは福島第一原子力発電所がある大熊町で米と花卉類の栽培をしていて、震災当日は畑で作業をしていました。
 「突然、大きな地震が起こり、家の中などが滅茶苦茶になってしまいました。地震がおさまり、両親は家を片付け始めた頃、私は息子を迎えに高台にある小学校へと向いました。家へ戻ろうとした時に海の方から物凄い勢いで津波が来るのがわかりました。すぐに引き返し、子供を安全な場所に残して、皆の反対を押し切って、両親が残っているはずの自宅へ行きました。母はトイレの便器の上に乗り、水面から顔だけ出せたので助かっていました。父は津波で流されてしまい、すぐに見つけることができませんでした。そうこうしているうちに原発が爆発するかもしれないと言うことで避難勧告が出されました。夕方頃だったかと思います。それでも必死で父を捜しました。もう諦めかけていた時に田んぼのくぼみにうずくまっている父を見つけることができました。その後は家族で会津へ避難しました。私は米沢郷牧場で働かせてもらっていますが、両親は今でも会津にいます。正直な話、子供の頃から原発は安全だと言い聞かされてきました。信じていたのだと思います。でも、すべてが嘘でした。そのことに対する怒りや憤りを強く感じています。」
 この福島のことがどれだけフィリピンの人達に伝わったかはわかりません。フィリピンには原発がなく、ましてや農村部の人達にとって放射能というものは全くと言っていいほど縁がなく想像がつかないものであるからです。ただ、人も住めなくなるような恐ろしく、重大な過失事故が起きてしまったこと、原発がいかに恐ろしいものであるかということは伝わったかと思います。日本側からの参加者はあらためて福島の現状を知り、愕然とする人もいました。現地の声を生で聴くことの大切さが身に沁み入ります。
 キャンパス終了後は懇親会、峰村氏を筆頭に研修生達がダンス合戦、そのほか各々での「語り合い」が夜遅くまで続きました。

◆第三日目 カネシゲファーム〜市内見学
 早朝からKFRC作業体験、子豚の去勢、餌の配合、生姜の種植えなど、スタッフと研修生の説明に従いながら作業体験。おそるおそる子豚の去勢をする姿がとても印象的でした。
 朝食後はルーラルキャンパス第二弾。APLAフィリピンデスク、カネシゲファーム総責任者のアルフレッドさんからネグロス島の歴史とKFRCの活動についての説明がありました。ヨーロッパの支配が始まる前の話から現代にいたるまでダイジェストではありましたがとてもわかりやすい説明でした。カネシゲファームでの取り組みは幾度となくAQUAでも報告してきましたが、現在は約四〇頭の母豚と五haの野菜と水稲栽培、ランポンプとバイオガスなどの適正技術を利用した取り組みなど、農場内での資源循環が構築されています。今後の課題は各農村地域から研修に来ている研修生達の行く末をどのようにフォローアップして行くのか、また彼らがどのように展開していけるのかどうかなどです。
 貧しいゆえにシンプルな暮らし(農)があり、何もないからこそ大切なものが見えやすいネグロス。豊かでモノは溢れている分、大切なものが中々見えなくなり、アイデンティティーは低下する一方の富める国日本。翌日のエイド社でも同じことを考えさせられることになるのですが、二日間に渡るルーラルキャンパスで私達が共通して考えなければいけないことが目に見えて浮き彫りとなったのでした。
 ルーラルキャンパスが終了し、昼食は前日絞めた子豚の丸焼き(レチョンバボイ)に舌鼓。命を美味しく、感謝を込めていただきました。
 名残惜しくカネシゲファームを後にし、バコロド市内の市場視察へ。活気あふれる市場に皆は圧倒されながらの視察でした。

◆第四日目 〜エイド財団訪問(テクニカルパーク見学)など
 朝食後にカネシゲファームに設置されているランポンプ等の適正技術を開発・施工しているエイドファンデーション(エイド財団)へ。代表のオランダ人・オーキー氏によるエイド財団の取り組み、理念、ランポンプの仕組みなどについてレクチャーがありました。ランポンプやバイオガスの他にも、風力発電や小水力発電などの同財団が開発した技術そのものをテクニカルパークで体験。「技術はシンプルに、そしてその土地風土に適応できるものを。技術を売るのではなく、実践し、現地に適した能力を発揮させるために伝道して行く。」と代表のオーキー氏。滞在予定時間は二時間でしたが四時間以上も滞在して適正(中間)技術について学びました。
 遅い昼食の後に、かつてアジア最大の製糖工場と言われたヴィクトリアス製糖工場へ。突然、工場敷地内に住む学校帰りの子供達と片言の英語での交流が始まりました。帰りにはバコロド市内に増え始めているショッピングモールを視察しました。
 夕食後、ホテルのラウンジに集まり、参加者全員とアルフレッド氏も一緒に今回のツアーを総括するということで、あらためて交流会(意見交換会)をすることになりました。参加者ひとりひとりから今回のツアーに参加しての率直な思いや感じたこと、またはアルフレッド氏に対しての質問、アルフレッド氏からの質問など日付を越えるまで議論が展開されました。参加者からは「また来たい」という意見よりも、「帰ってから仲間に自分の言葉で伝え、皆にネグロスへ行ってもらいたいと思う。」という意見が多くでました。現地で吸収したもの、学んだものがそれぞれにとって、とても大きなものであったということではないでしょうか。
 
◆第五日目 〜帰国
 前日は夜遅くまで続きましたが、就寝して数時間後の朝四時半にホテルを出発し、マニラ経由で無事、皆さん帰国の途につきました。
 この後の吉澤真満子APLA事務局長の感想にもありますが、遠い地へ旅に出て、意見を交換し語り合うことがお互いを刺激し合い、未来に向っていくことに自信を持ち、明日への活力へとしていく。
 経済性を求めなければ生き残れない社会の現状もありますが、今回のように、それぞれの組織を越えて、同じ体験をしながら本当に大切なものを共有していけることこそが今、本当に必要とされていることなのではないかと実感できる視察ツアーであったかと思います。
(報告:BMW技術協会事務局 秋山澄兄)
 ツアー参加者からの感想

ネグロス視察ツアーに参加して
㈱豆伍心  坂上健司

 今回、フィリピン・ネグロス島のカネシゲファーム、エイド財団の視察ツアーに参加させていただき、色々と考えさせられる事が多い視察となりました。
 まずネグロスに着いて、「貧富の差が激しいのか?」と感じましたが、四日目のバコロド市内視察の際に訪れた地域では、わずか道路一本挟んで貧富の差が激しく(立ち並ぶ豪邸街のすぐ裏にスラムのような町が広がっている)、今まで自分が見てきた世界とはまったく違うものでした。このような格差が大きい社会の中でのカネシゲファーム、エイド財団の創立理念、経営理念は自分の考えを改めさせられました。いかに日本での自分たちが恵まれ、甘えて生活しているのかを痛感させられました。
 カネシゲファームでのバイオガス・BMW技術複合プラントでのバイオガスによる発電システム、循環型有機農業やエイド社のランポンプ(自動揚水器)の技術は素晴らしいと感じました。普段、豆腐の製造の仕事に就いていますので直接的な技術の応用等は難しいとは思いますが、原材料(大豆など)の産地等にいかに技術や自分達の考えなどを伝えるかが今後の自分の課題でもあると思いました。今回の視察では各所に思うところがあり、文章では表現しきれないことも多く体感し、学んで帰ってくることができたと思います。豆伍心の従業員にはぜひ現地への視察に行かせたい、行ってもらいたいと思いましたし、より多くの方に現地に行き自分で色々なことを感じ取ってもらいたいと本当に思いました。今回の視察に参加させていただき本当に感謝しております。

カネシゲファーム視察ツアーを終えて
 特定非営利活動法人APLA
 事務局長 吉澤真満子

 ツアー最終日。参加者それぞれが三日間で見聞きし、感じたことを語り合った。境遇やおかれた立場によっても感想は違ったが、ネグロスから学んだこと、参加者同士で語り合い刺激しあったこと、自分自身がこれから生きていくうえで大切にしたいことなどが語られた。数日前に出会ったばかりの人たちが、旅を共にすることで仲間になり、こんなにも共有ができるものかと感動したが、それはネグロスという日常とは離れた場所で、様々なことを見つめなおせる時間があったからなのではないかと思う。
 今回のツアーでは、フィリピン・ネグロス島にあるカネシゲファーム・ルーラルキャンパス(KFRC)で、BMW技術を中心に展開する循環型農場を視察し、農場の研修生やスタッフたちと交流した。他にも、ランポンプ(自動揚水器)など適正技術を普及するAID財団を訪問、移動の合間には、高級住宅街やスラム街、シーズン中の製糖工場周辺を視察した。
 ネグロス島は別名「砂糖の島」と呼ばれ、今でも広大な砂糖キビ畑が広がる。しかし、なぜネグロスの地に砂糖キビがもたらされたのか。スペインの植民地時代までさかのぼり、かつては自然豊かであった土地と人びとが、どのように搾取され、管理され、抑圧されていったか、しかし、その一方で自由を勝ち取るために闘ってきた人びとの歴史があることを聞いた。今KF-RCで実現しようとしている循環型農業やAID財団が普及する適正技術も、そうした歴史や背景のもとにあり、それは人びとが普通に暮らし生きていくための闘いでもあると学んだ。
 参加者の一人がKFRC代表フレッド氏に質問をした。「日本は経済的には豊かになったが人びとは満たされていない。僕たちはこれから何をしたらいいのか」と。それに対し「仲間で集まってとことん話し合い、そこから出てきたアイディアを実行していくこと。答えは外にあるのではなく、自分たちの中にしかないのだ」と答えがあった。先行きが見えない時代だからこそ、同じ志を持つ仲間が集まって何かをしていくことの大切さを、ツアーを終えて改めて感じている。

Author 事務局 : 2013年04月01日 19:49

 
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