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復刻版『村の若者たち』

復刻版『村の若者たち』
宮本 常一 著 家の光協会

周防大島の出身者では『三百六十五歩のマーチ』などを作詞した星野哲郎が有名だが、著者も膨大な記録・写真・収集物を残し、それらを収蔵する施設が故郷の大島に建てられている。
 本書は1963年に刊行されたものの復刻だが、「第一章 村にのこる若者の苦悶」に始まり、最後の「世をあたらしくするために すみずみまで光を」まで、近代日本農村の青年達の姿を足で集めた豊富な情報をもとに要領よく紹介した、明解な著作である。


 執筆時の状況を「神武以来の大変化で、ついぞ見たことのなかったほど、世の中は大きくうつりつつある」と書いているが、それが「昭和33年に第一次産業人口が第三次産業人口と並び、以来第三次産業人口が上回りだす」という時代なのだから、それから半世紀経った現在からすれば、まだまだ牧歌的だったといえるのではないか。とはいえ、若者が村に残らない事態に警鐘を鳴らし、村に残る若者の心情に身を寄せて「新しい光」を構想しようとする著者の姿勢は、その後多くの人達に分け持たれてきた定型だといえる。 谷川雁のサークル村の実験とか、守田志郎の「小さい部落」思想などの同時代思潮に比べると、クラーク博士の格言から始めて「日本青年会」や「若い根っこの会」を賞揚する著者の「穏健さ」は、物足りない印象を与えるかもしれない。しかし、農村・農民の思想や原理の先鋭さではなく、生活の持続の相を考える上で、この本には多くのヒントが示されているのではないか。 身の上話で恐縮だが、私の父は富山県の山村出身の三男で、村では「木っ端オジ」と呼ばれていたそうである。長男が幹で、二、三男は削りカス、都会に働きに出るか養子に入るかの宿命を負っていた。結局は東京の長屋暮らしに潜り込んで下層庶民として長命を得たが、宮本は一章を割いてこうした二、三男の姿を情理細やかに描いている。さらに、若者宿の習俗が村の暮らしに果たした大きな役割(修練と自主の精神と生産参加)を生き生きと、しかし愛惜の気持ちをこめて書いている。青年団すら維持が難しい時代になっていたのである。
 明治以来、農村から都市にはみ出していった二、三男たち(高等教育を受けられた富農層の子弟達を宮本は論述から省いている)が積み重なって増殖し、いまや流れは逆転しているかのようだ。都市をはみ出して農村に辿り着く人々の流れ。こうした現象を理解する上で宮本の著作は役に立たないかもしれない。既に民俗学は都市のものになり、三百六十五歩のマーチを応援歌として歩き続けた宮本の仕事は巨大であるが、厳密でも理論的でもなく、やたらに長い褌のような印象を受ける。大事なモノを包んではいるのだろうが。
 しかしながら、私のような農村・農業を知らない農民の子孫にとって、村の人々と村の仕組みを学ぶうえで、著者の業績は鮮明なモノクローム写真としての光彩を放ち続けるに違いない。

評者 高瀬 幸途(太田出版)

Author 事務局: 2007年04月07日 11:10

 
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