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「イタリア有機農業の魂は叫ぶ」

ジーノ・ジロロモーニ 著  家の光出版

有機農業協同組合アルチェ・ネロからのメッセージ

評者 竹内 周(Radixの会)

 この本が著された二〇〇一年(邦訳は二〇〇五年)、日本では有機JAS法が施行されて一年を経、有機においては世界と共通のものさしを持つに至った。あの時以前と以降で、有機農業を巡る状況は大きく変化したと思うのだが、私たちは、私たちの信ずるところに従って、有機農業を実践しているのだろうか。
 この本は、そんな時代に、有機農業とは一体何を目指すべきものなのかを、その半生も含め、貧しいイタリアの農民として、有機農業運動家として、さらには敬虔かつ行動力に満ちたカトリック信者としてまとめたものだ。
 著者は一九四六年、イタリア中部マルケ州の片田舎、イゾラ・デル・ピアーノ村に生まれた。二四歳からの十年、若くして村長を務め、修道院に暮らしながら有機農業を進め、三一歳の時仲間と設立したアルチェネロ農業協同組合を設立し代表に就任。四〇歳でマルケ州有機農業者協会、五一歳には国境をまたぎ一万三千の有機農業法人が加盟する地中海有機農業協会を設立した。
 農民がなぜ村を捨てて去って行ったのか。悲痛な思いを胸に、農村の失われた文化や人間関係、風物をノスタルジックに語り、若くして有機農業に取り組んだ著者は、同じ農民として奮闘し、有機農業で村全体を蘇らせたという。良き農村の復興を目指して設立されたアルチェ・ネロ協同組合の名は、かのブラックエルクに由来し、現在では村の全農地の七〇%が有機で生産されているという。
 著者は、進歩とは一体何なのかを我々に問いかけ、有機農業は文化的な挑戦に他ならないと説く。数十年程度の歴史は意に介さず、数百年の視点で、痛みを感じるほどに現象を看破する思考の深さ。
 現代の食べものは私たちの身体が受け付けようにも受け付けられなくなってしまっていると話し、BSE、ダイオキシン、抗生物質まみれの肉を許容する自分たちは、もはや食べものの質を見分ける感覚が麻痺してしまったと嘆く。マクドナルドを襲撃するなど過激派として知られるフランスの酪農家ジョゼ・ボヴェを心情的に支持し、マルクスの登場でユートピア幻想がたたきこまれ、ニーチェの思想に欺かれ、フロイトに頭までおかしくさせられたと語り、人間は正しい歴史感覚を失ってしまったと嘆く。遺伝子組み換え食品は神の創造物への冒涜であると説く……。
 イタリアはスローフード運動発祥の地として近年注目されている。都会らしい人間くささ、食本来の価値と危機を食卓から切り開いた軽妙なバランス感覚やデザインセンス。この運動は当初から国際運動を視野にして開始されたものだ。北イタリアの都市部のインテリ層が運動の主軸であり、設立者のカルロ・ペトリーニ氏は著書で「スローフードは多極主義、多国籍文化的な国際運動に発展することで、文化が絶対的なものではないことを無理なく証明でき、自国の食品を絶対視する狂信的愛国心に打ち勝つことができる」と語り、グローバルな考え方は本来多様性を許容するものであり、画一化を指すものではない点を強調している。
 これとは対照的に、あくまでも農民の側に立ち、悲しくも重厚な歴史観と共に進んだと思える著者は、そのフィールドを彼の同胞(はらから)たる貧しくも豊かな故郷、地中海の農業に求めていった。
 本の冒頭に、農林中金研究所の蔦谷栄一氏が十頁ほどでイタリア農業のあらましを伝えてくれ、その客観性がおおいに参考になる。氏によれば著者は『行動派の哲学者』だそうだ。トルコ、イスラエル、エジプトの有機農業を訪ね、同じアブラハムの子孫として、地中海南岸諸国のチュニジアやモロッコを競争相手とするべきではないと訴える。農民同士がより広域に同じ気候、文化、伝統を連帯する思想は、我々にとってアジアなのか、環太平洋なのか。

Author 事務局: 2008年03月01日 11:37

 
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