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『地球生態学で暮らそう』


槌田 敦 著(ほたる出版)
評者 竹内 周(らでぃっしゅぼーや株式会社)


 農地や漁場は、盆栽や水槽と同じ。これらを上手に管理し、豊かにする法則や条件を基本から探す。この目的のもとで、「エントロピー」という観点から、自然現象、生命現象、そして人間活動との関わりを教えてくれる本だ。
 エントロピーとは、有名な熱力学第二法則のことだそうだが、理解するのは難しい。これをとりあえず、事物と時間は冷徹、「覆水盆に返らず」の法則で動いているものだ、と捉えてみる。割れたコップは元に戻らない。この法則から導き出される現実は、同じ世界が二度とやってこないという、感覚的には受け入れにくい世界だ。
 ところが地球はその法則をうまくやり過ごし、あたかも「覆水を盆に返す」現象の体系で成立しているようなのだ。
 この本はその現象の一つ一つを、エンジン(熱機関)になぞらえ、教えてくれる。生命のエンジン、気象のエンジン、土の生態系というエンジン。すべての運び役としての水の存在、地球規模の物質循環に無視できない働きをする動物の役割、さらには人間社会エンジン、生態系の一部……。そのすべてを、連環したひとまとまりの系として学ぶ。これが地球生態学、ということだろう。
 さて、そのエンジンが機能不全に陥っている。その状況や原因、そして語られる対策は、地球を装置に見立て、運び役としての水と、人間も含めた生物を積極的に介在させた代案提示だ。
 湧水はただのH2Oではない。動植物の遺体や糞尿の分解で得られる水溶性の有機物が溶け込んでいる。濁った川は単に汚染と捉えるのではなく、生命が介在することで栄養と見なすことができる。植物はチッソ、リン酸、カリ単体を選択的に摂り込むのではなく、土という生態系がもたらす養分、それと機能の全体を活用するもの。人糞生ゴミも個別処理で悩むより山に戻すことで森が豊かになる……。
 地球生態学から見える世界は、あたかも巨大なBM装置のようだ。そこには貴賎清濁なく、上下も左右もないという前提で、我々の常識や思い込みに水を差す。農地や漁場は、盆栽や金魚鉢と同じ、人工の生態系としてデザインし直す発想が必要だ。
 悩ましいのが人間エンジン。欠くことのできない農業が、科学技術による過剰生産と、自由貿易による過剰貿易によって機能不全に陥ってしまった結果、世界各地を砂漠化に追い込んでいると指摘する。灌漑と化学肥料による大規模な単一作は、短期の収量増を実現するが、水の枯渇と塩類集積が不採算をもたらし、耕作放棄の果て砂漠化へと突き進むという。生産された安価な作物は、自由貿易の名のもとで半強制的に輸入させられる国々(日本も?)が営む農業も不採算化し、覆水盆に返らず、の耕作放棄が進むという。
 人間社会の活動が生態系を棄損するという周知の事実からは、生態学と経済学を分けて論じるのはナンセンス、人間社会も地球エンジンの一員として積極的に参画すべき、という結論が導き出されると思いきや「自給のための半日農業」に帰着する。どうしてなのかはぜひお読みいただきたい。
 本書は、誰も言わない環境論『CO2温暖化説は間違っている』『弱者のための「エントロピー経済学」』に続く三部作の第三作だ。時間は不可逆だから、どんな技術も「覆水を盆に返す」ことなどできないのだが、通読すれば、技術を通して人間が地球にどのよう関われるのか、改めて考えることができるような気がする。

Author 事務局: 2010年01月01日 21:21

 
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