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復刻版『死線を越えて』

賀川 豊彦 著 (PHP研究所)

評者 竹内 周(らでぃっしゅぼーや株式会社)

 明治政府が一八八九年に帝国憲法を発布して、翌年、日本初の議会が開かれた。人口の一・一%でしかない二五歳以上の納税男子(のみ!)から選ばれた衆議院と、皇族、旧公家、旧藩主からなる貴族院から組織された日本政府は、その後富国強兵、近代化をどんどん進めていった。日清日露戦勝の勢いは、とうとうマッカーサーが上陸するまで止まらなかった。
 一八八八年に神戸で生まれた賀川豊彦は、そんな日本の近代の初めから終わりまでを、苦悩しながら行動してきた人だ。その原点は、貧民の救済。『死線を越えて』は、著者二一歳、その後の活動の原点と言える神戸での約一年間を綴った自伝的な小説だ。

 あらすじを追うと、その前半は多感過ぎる学生時代の煩悶だ。神戸に回漕店を持つ政治家。そんな父を持つ主人公の新見栄一は、学生時代を西洋の思想、哲学、宗教を東京で学ぶが、精神や思考の純粋や潔癖、病を抱える肉体、処世的な同僚への幻滅に苦しむ。
 ところが学業を捨て、目途も持たず志半ばで戻った生家には、より受け入れ難い現実が待っていた。政治家として悪徳、妾を囲い家産を我が物にする父は、学問を否定し、衝突を繰り返し、栄一の精神は錯乱していく。
 自暴自棄に近いような状況で、偶然一夜の宿を乞うた木賃宿の経験から、栄一は貧民へのキリスト教の路傍伝道に専心していった。
 後半は栄一が思いを決し、一九〇九年のクリスマスイブに、神戸市茸合新川の貧民窟に住み、貧しい人々の救済活動を開始、そこから労働運動に身を投じていく姿が描かれる。そこは貧しさゆえのいがみ合い、怪我、喧嘩、略奪、病、そして死が毎日のように巡る、極めてリアルな修羅場だった。
 伝道はいつしか「救済」に転化していった。献身から発した栄一の思想は「貧」を絶つ闘いへと変化してゆく。鉄鋼や造船は、富国強兵政策という明治史の表の姿だが、神戸新川の貧しさは、その影で苦悩する労働者たちの貧しさでもあったからだ。

……小説であり、著者の実際の経歴と異なる点もあるが、この著作が社会的弱者、すなわち『権利なき人々』への献身と救済という、一貫した賀川豊彦の世界観を物語る原点であることは間違いないだろう。後の生協運動、農民運動、平和運動も含めて、権利なき人々の相互扶助から協同にビジョンを見出し、その権利を獲得する組織を構築し、社会化していった原点とも言える。
 この原点は、来たるべき民主社会という、時代の極めて大きな変化に結ばれていった。
 さて、現代は権利ある人々の時代である。世界は民主社会になった。戦後から現在に至る過程で、生命の権利はもとより、人権の意味と質が拡大した。他方では、消費社会となり、さらなる権利の拡大、クオリティオブライフの向上は、消費する個人と、生産する企業によって担われる経済主導の世の中になった。
 こう考えると、これからの協同とは、どんな相互扶助を進めながら社会運動として、どんな権利を獲得する運動体となるのだろう? 殊に生産と消費、諸外国との関係において、それは企業やNPOが担うことのできない、これから先の未来のどのような質の転換を示していくのだろうか?

Author 事務局: 2010年02月01日 11:48

 
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