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『イーティング・アニマル』

ジョナサン・サフランフォア 著 (東洋書林)

 アメリカでは、毎年一〇〇億をこえる陸上動物が、人間の食用として命を奪われているという。その肉の九九%以上が「工場式畜産」で生産されているそうだ。著者はこの本で、極大化したアメリカの工場式畜産と食肉処理場の現在をつぶさに描写し、その問題を明らかにしていく。

 工場式畜産とは、工業化され、集中的に行われる畜産農業のこと。その徹底によって、食品としての安全性だけでなく、公衆衛生や環境汚染、食料の枯渇、地球温暖化などにも、直接に悪い影響を与えてきた。
 その現場は、日本人の我々の想像を超えてグロテスクだ。ところが、生産現場の出来事はフタをされ、消費者は、そこで何が行われているのか、知らされることはなかった。牧歌的なイメージのTVCMで味付けされた肉は、気にかけられることなく、大量、広域に流通し、消費されるようになっていった。こんな状況だったので、工場式畜産と食肉処理場の実態は、全米の消費者に少なからずのショックを与えたそうである。
 ちなみに、向こう側が隠されているという意味で、ふと今回の福島第一原発事故が浮かんだ。現場の労務や倫理上の問題のほか、似ている点も多いと思うが、アメリカの消費者は、この方式が世界の畜産や農業の方式に悪影響をあたえていることについても、ほとんど知らないのだという。

 ご存知の通り、高度成長を遂げる七〇年代以降の日本は、このアメリカ型の食肉生産の考え方やシステムを、近代化という名前で積極的に導入してきた。
 効率化も規模拡大も悪くはない訳だが、上述の通り、副次的な負の影響に目をつぶって成長し「継続不可能性」を増大させてきた工場式畜産は、アメリカほどではないにせよ、日本の畜産にも、同様の課題を波及させているだろう。
 著者は「何を食べるかを選択し決断することは、生産と消費の基礎となる行動であり、それがほかのすべてのありようを決定する」という。
 工場式畜産という方式は、コールドチェーンが発達し、大量広域の物流が実現した、現代というシステムそのものに、よくフィットする。しかし一方で、現代の消費の先導役は、以前のようなカロリーや利便性ではなくなっている。環境保全や社会貢献など、エシカル(ethical:倫理的)なことが、商品選択のものさしとなり始めているのだ。
 こう理解するとき、我々は、畜産について、生産方式だけでなく、家畜福祉や、さらには「肉食」という食習慣にまで、視野を広げて向き合わねばならなくなるのだと思う。この本で展開されている対話の数々|ヴェジタリアンや良心的生産者との|は、そのような視点から、示唆に富む。

 かつて、家畜への倫理観についてのアメリカ人の考え方は、「食べるな」でも「気にかけるな」でもなく、「気にかけながら食べろ」というものだったそうだ。イーティング・アニマル|食べる動物たる人類|にとって、「肉食」は、その選択と決断の過程にある行為であり続ける。

評者:竹内 周 (らでぃっしゅぼーや株式会社)

Author 事務局: 2011年05月01日 23:34

 
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