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「南沙織がいたころ」

永井 良和 著 (朝日新書)


 南沙織の名を覚えているかたも多いと思う。一九七〇年代初頭、『17才』のヒット曲で鮮烈なデビューを飾った沖縄出身のアイドル歌手である。本屋で手にとって、書評を書く気になった。ちょうど、私の青春に重なる記憶が蘇ったからだ。
 南沙織がデビューしたのは一九七一年の夏。澄んだ歌声と明るく軽快なメロディは、当時の若者を一瞬にしてトリコにしたといっていい。私もその一人だった。沖縄出身ということにも感じるものがあった。翌年に沖縄の「祖国復帰」をひかえ、沖縄返還協定が締結されようとする時期だったのだ。
 この本は、南沙織の生い立ちからスタートする。南沙織はもちろん芸名で、本名は内間明美。出身地については、当時はあいまいな言われ方をしていた。著者自身も芸能人のプライベートを詮索することが目的ではなく、「社会にどう受け止められていたかを考えたいのです」と断っている。デビューの頃は、鹿児島県奄美大島の出身でフィリピン人の父親と沖縄人(ウチナーンチュ)の「ハーフ」だとされた。ただし、「沖縄出身」というプロフィールで紹介する音楽雑誌などもあった。本の結論からいうと、「生みの親は両親とも日本人(ウチナーンチュ)です」と最近のインタビューで南沙織本人が答えているという。生地は沖縄であるが育ての父親はフィリピン人であった。育った地は、沖縄の宜野湾市大山。あの普天間基地の目の前なのである。フィリピン人の父親は、普天間基地の基地労働者で、基地との繋がりから子どもたちを英語のできる環境で勉強させようと、基地に近いインターナショナル・スクールに通わせた。母も「沖縄の日本復帰など永遠にない」と考えていたから賛成した。
 こうした教育環境が、一般のウチナーンチュの生活と沙織はかけ離れた世界に身を置くことになる。それは南沙織の歌や立ち振る舞いに「沖縄らしさ」を感じさせないことに繋がっているのかも知れない。著者は「(デビューした頃は)『沖縄を背負う』ことに戸惑いがあった」、「私は何者なのだろう。(自分の)アイデンティティがわからない」と沙織は悩んでいたのではないかと分析している。沙織は自ら「沖縄」を語ることはほとんどなかった。当時、沖縄と日本の微妙な距離を感じとった一人の少女の心根がうかがえる。
 しかし、二〇〇二年、歳を重ねた南沙織は、沖縄タイムスのインタビューでこう応えている。
 「私は純粋に沖縄生まれの、沖縄育ちです。それは紛れもない事実です。でも(県民の)皆さんが想像するような沖縄育ちといえる立場ではない。(中略)私は27年間のアメリカ統治下の『時代の子』として特殊な世界に暮らし、育ったことをあらためて実感するのです」と、率直に語っている。
 当時は、米軍に土地を奪われ、圧政に苦しむウチナーンチュと、米軍の基地経済に依存して暮らすウチナーンチュが交錯する時代だった。また、米軍人と結婚したウチナーンチュの女性たちも多く、任期を終えた軍人の帰国で置き去りにされた母子も少なくなかった。「ハーフ」の子どもたちが差別された時代である。沙織のいう「時代の子」とは、こんな環境を指すのだろう。しかも、彼女の家族は米軍基地に寄り添う生活であったために、沙織自身、アイデンティティを素直に「沖縄」に求めるのは本人には抵抗があった。
 沙織が10代を過ごした沖縄の60年代後半は、日本への復帰運動が頂点に達した時期だった。過酷な米軍政下では、ウチナーンチュの人権は無視され、法とは米軍の最高権力者である高等弁務官の布告ひとつで決まる時代であった。この圧政から解放されるには、日本の平和憲法への復帰以外にありえない、そう考えたウチナーンチュの「祖国復帰運動」だったのである。一九七二年五月一五日、沖縄は日本に返還された。しかし、「基地のない平和な沖縄、核抜き本土並み」を求めたウチナーンチュの願いは日米政府により返還後も無視され、依然として日本と沖縄の関係は今にいたるまで何も変わらない。密約にまみれた虚構の「返還」であったのだ。
 二〇一一年一月、共同通信のインタビューで57歳を迎えた南沙織はこう語る。
 「普天間のような人口密集地になぜ、いまだに飛行場があるのでしょうか。移設先が辺野古というのもだめ。(中略)とにかく海を汚してほしくない。これが絶対条件です」
 さかのぼって二〇〇二年のインタビューでは、
「沖縄は、私にとって原点であり、ルーツです。素朴で自然に溢れた風景。音楽・・・生まれ育ち、多感な時代を過ごした沖縄のすべてが、今も私の中にいきづいています。故郷沖縄に対する感謝の気持ち、精神的な繋がりは、強まっていくように感じます」
 そこには、「沖縄を背負う負担」「自分のアイデンティティ」に悩む沙織の面影はない。吹っ切れた「時代の子」は、堂々とウチナーンチュの誇りを語っていた。来年で「日本復帰」40周年を迎える沖縄。この著書はアイドル歌手の華々しい舞台の裏側にある、時代の子を強いられた一少女の肖像をも描いていると思う。
評者:大田 次郎 (BMW技術協会 事務局)

Author 事務局: 2012年01月01日 13:56

 
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