「経済学の犯罪」稀少性の経済から過剰性の経済へ

佐伯 啓思 著 (講談社現代新書)

井上 忠彦 (BMW技術協会事務局)

 経済という仕組みをつくったのは間違いなく人間であるにもかかわらず、今日、人間の方が経済に支配されているように思えるのは、わたしだけではないのではないでしょうか。本書は、文化人類学研究(モースによるトロブリアンド諸島の「クラ交換」)など貨幣の根源から立ち戻り、アダム・スミス、ケインズらを経済思想史的に分析して現在の経済学を批判した本です。わたしたちが信じていた市場中心主義経済学が誤りであることを平易に解説してくれます。
 まず、リーマン・ショックやEU危機など、現在、世界が陥っている経済的困難の背景には、世界を席巻している市場中心主義経済学(シカゴ学派)の影響が極めて大きいことが説明されます。著者によれば、一九七〇年代頃には経済学の流派は「シカゴ学派」「アメリカン・ケインジアン」「ラディカル・エコノミックス学派」「制度学派」「ケンブリッジ学派」などが並立していたそうです。ところが、一九八〇年前後に「すべてを市場競争を委ねるのが正しい」という、いわば市場原理主義を主張するシカゴ学派だけが支配的になってしまいました。その理由は左翼ラジカリズムの衰退と、市場中心のシカゴ学派の理論には数学的なモデルを導入しやすく形式化に成功したため、いちばん科学的・普遍的に見えたからだそうです。その結果、シカゴ学派の市場中心主義が、米国から世界各国へ導入され、世界の市場経済の一極化と単一化を推進しました。日本においては小泉政権の構造改革路線へとつながっていきました。
 グローバリズムはIT化と連携し、日本でも「小さな町工場に地球の裏側から注文が入り、世界とつながることであなたのビジネスはもっと豊かになります」といった喧伝がされました。わたしたちは、それがなにかとても新しい未来で、自由で解放された素晴らしい時代になるのではという期待とともに受け入れましたが、今世界が直面している経済的困難は、金融グローバリズムが持つ本質的性質によるものなのです。
 「自由な競争的市場こそは効率的な資源配分を実現し、可能な限り人々の物的幸福を増大させることができる」というのが市場中心主義経済学の基本命題ですが、巨額な投機的資金が、瞬間的利益を求めて世界中を駆け巡るグローバリズムの中で、投資家たちの「私的利益」と一国における国民全体の「公的利益」は一致しないのです。その場合、「公的利益」を実現するためには政府の出動を待つほかにありませんが、国家の信頼性が国債市場での金銭的評価のみによって判断されるなか、国家さえもが市場に従属することになりました。
 「市場主義的経済学は、リーマン・ショックのような危機に対応できない、というだけではなく、市場主義的経済学が部分的であれ、危機を生み出す一因となっている」と著者は指摘します。
 「経済学は資源の効率的配分を目的とする科学だと経済学者はいうが、『効率性の追求』とはひとつの価値判断にほかならない。たとえば、効率性を犠牲にしても公正性をとるとか、環境を大切にするとか、あまり働かずに気楽な生活を楽しむ、などという価値もあるではないか。……経済学という『科学』のおかげで、われわれは『効率性の追求』という価値へと強制され、それから逃れることができなくなってしまうのではないか。経済学は科学だといいながら、実は、効率性の追求を最優先すべし、というイデオロギーを選択していることになる。だが、どうしてそれが望ましいといえるのだろうか。」
 過剰な資本主義における倫理観の欠如を描いた映画「ウォール街」で主人公は「強欲は善だ」と言い放ちました。しかしそれを「金融市場における飽くなき効率性の追求は善だ」といいかえれば、わたしたちが信じている経済学になるのです。
 「合理的科学」である経済学の発想は、「非合理」なものや「無駄」を許容しません。それが現代の人間を生きにくくしています。過度な競争主義、単純化された能力主義、利己的個人主義、すべてを金銭的評価でランク付けし今すぐに成果を出せという短期的成果主義、限りない成長主義、そういった価値観を私たちは押しつけられています。そして、成長主義の限界や「脱成長社会」を語ると「電気を使わない江戸時代に戻るのか」というような幼稚な議論になりがちで、いつまでたっても幸福感なき経済成長を求め続けてしまうのです。
 農業においても市場が生産者を支配していますが、そもそも食物や水など生命に関わるような重要な「社会的土台」は安易に市場に委ねるべきでは無いと経済史家のカール・ポランニーは主張しています。市場経済がうまくいくためにはそれを支える社会的土台がしっかり安定していることが必要だからですが、「あらゆる経済活動を市場競争にさらして利潤原理と効率性基準のもとに置こうとする構造改革は、社会を破壊しかねない。」という著者の言葉は、TPP問題や遺伝子組み換え食品など現在の「食の危機」にそのまま当てはまるでしょう。また、原発再稼働の是非についてもその根底に横たわっているのは経済問題です。わたしたちは経済成長(効率)と生命の安全を天秤にかけているわけですが、そもそも「経済成長」とは「生命」に匹敵するような価値なのでしょうか。
 また、世界市場の一極化は各国で貧富の拡大をもたらしました。ユニクロの柳井正会長は「グローバル化とは、grow or die.  経済成長か、さもなければ死か、という時代だ」と語っています。ファーストリテイリング社(ユニクロの親会社)の有価証券報告書によると、アベノミクスが始まった一二年一一月一四日から一三年四月二二日までの五ヶ月で、柳井氏とその家族の保有株式の時価は八五四八億円増えたそうです。全従業員の給与手当は一二年八月の決算で八三九億円ですから、柳井氏一家のわずか五ヶ月間の資産増加額は、全従業員三万八千人の給与一〇年分に相当します。これは、自由競争における正当な成功者利益であり、また、アベノミクスのトリクルダウン理論(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透するという経済理論)により、日本国民の利益になる、と喜べることなのでしょうか。

Author 事務局 : 2013年07月01日18:56

 
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