「チョコレートの真実」

キャロル・オフ 著 (英治出版)


 チョコレート。この響きだけで幸せになる人は多いのではないか。子どもから大人まで、多くの人がチョコレートのとりこになり、ありとあらゆるスウィーツにはチョコレートが用いられている。しかし、そのチョコレートを、誰が栽培し、どのような経緯をたどり、どう製造されているか、ということを知っている人は少ないのではないだろうか。この本の表紙のそでに本文の抜粋が載っている。「私の国には学校へ向かいながらチョコレートをかじる子供がいて、ここには学校にも行けず、生きるために働かなければならない子供がいる。少年たちの瞳に映る問いは、両者の間の果てしない溝を浮かび上がらせる。なんと皮肉なことか。私の国で愛されている小さなお菓子。その生産に携わる子供たちは、そんな楽しみをまったく味わったことがない。おそらくこれからも味わうことはないだろう」。ここで言われている「溝」は、何世代にもわたって作られてきた溝である。それは暗黒とも呼べる歴史である。そして著者はエピローグの最後を「未来を見通してみるとすれば、ずっと昔から続くこの不公正が正される見込みは、ほとんどない。」と締めくくる。確かに、この本を読んでいると絶望的な気持ちになってくる。同時に、今この世界の中で生きている自分は、この甘い魅惑的なお菓子の裏にある真実を知る必要があったとも思っている。チョコレートが大好きな一人として。

カカオの歴史
 カカオに関する記録は、三〇〇〇年以上前のメソアメリカ(メキシコ南部から中央アメリカ北西部。マヤ・アステカ文明が栄えた地域)のオルメカ人に関するものだという。「神々の食べ物」とされたカカオは、水につけてすりつぶした後、多種多様なスパイスとすりつぶしたトウモロコシを混ぜて粥状にしたものを食べていたそうだ。貴族に愛された飲みものであり、宗教儀式や神々の礼拝と結びついていた。その後、コロンブスの「新大陸発見」。スペインにもカカオが伝わり、一六世紀の終わりには、新大陸とヨーロッパの交易の主軸商品になる。需要が拡大するにつれて、カカオ農園が拡大されていった。過重労働、虐待、戦争などで多くの先住民が死んでいく中、労働力不足の解決策としてアフリカ人奴隷が新大陸へ送られた。一方、ヨーロッパでは次第にチョコレートが広まり、貴族たちを魅了した。
 一九世紀に入り、産業革命が起こり、かつては富裕層だけが楽しめたチョコレートは、労働者階級でも手に入れることができるようになった。ヨーロッパやアメリカでは粉末ココア、板チョコ、ヌガーを入れたチョコレートバーなどが開発され、手軽に食べられるチョコレート菓子が作り出されていく。バンホーテン、キャドバリー、ハーシー、マーズなど、現在名前が知れているチョコレート会社は、その当時に一旗あげた人物たちの名前である。しかし、そのチョコレート産業の成長を支えていたのは、奴隷制度によって成り立っていたカカオ・プランテーションである。二〇世紀前半カリブ海地域やスペインの植民地地域のカカオ農園で病害が発生し、カカオの産地はアフリカへも広がったが、ここで変わらなかったのはアフリカ人がカカオ・プランテーションで過酷な労働を強いられることだった。
 アフリカでのカカオ生産は、巨大企業と腐敗した政府の癒着、引き起こされた内戦による武装勢力の衝突、価格の決定権をもたない農園経営者が生き延びるために児童労働と虐待を繰り返す。こうした不正義に立ち向かうおうとしたジャーナリストは、死の危険にさらされる……。一方で、ヨーロッパやアメリカでは、アフリカからのカカオを使ったチョコレートの販売が伸びていく。

チョコレートの未来
 時代はめぐり、昨今は倫理的な買い物をしたいという消費者が増えてきた。反グローバリゼーション、環境問題への意識が高まり、チョコレートに関してもオーガニックやフェアトレードといった商品が増えていく。イギリスで始まったこうした動きは、グリーンなマーケットに受け入れられるに従い、多国籍企業にも見過ごせないものとなる。始めは運動意識を持って立ち上がった会社も、次第に巨大資本の買収にあう。この株式売却は、企業責任を教える「逆乗っ取り」だといわれているが、それを行うのは至難の業だ。一方フェアトレードの生産地側からは、フェアトレードの認証を取るためのコストや書類整備が大きな負担だと声が上がる……。
 さて、日本のチョコレート事情だが、カカオ原料の七割はガーナから来ているという。『チョコレートの真実』は、主にヨーロッパ・アメリカとコートジボワールの関係について書かれているので、そこと日本のチョコレート市場がどうつながっているかは分からない。本文の中では、コートジボワールの内戦やカカオの価格操作などで、ガーナへの密輸もあると書いてあった。いずれにせよ、これだけ日本にもチョコレートが出回っているわけで、多かれ少なかれ状況は変わらないだろう。幸い、日本にはまだ企業に乗っ取られていない、顔の見える形でフェアトレードのチョコレートを販売している団体もある。私たちには選択肢があるということだ。著者も書いていたように、今存在するつくる者、食べる者の溝を埋めることは不可能に近い。しかし、その溝を埋めようとする試みは、まだ私たちにはできると思う。
評者:吉澤 真満子 (特定非営利活動法人APLA)

Author 事務局 : 2011年12月01日13:54

 
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