『怯えの時代』

『怯えの時代』  内山 節 著 (新潮選書)

評者 山本伸司 BMW技術協会常任理事(パルシステム生活協同組合連合会)

―国民国家と市民社会、資本主義経済のシステムの限界と未来について

世の中がおかしくなっていると感じられる。
金融崩壊の責任者たちは、少しも責任を取らずにまじめに働いている人たちが切られていく。一生懸命働いても少しも楽にならない。それは、なぜか。そしてどうすればいいか。

昨年、哲学者の内山節氏が呼びかけた群馬県上野村で開催された「新たな多数派の形成をめざす上野村シンポジウム」に参加した。高速道路を降りてウネウネと続く山道を行き山の中にある小さな村の中学校の体育館が会場だ。八月の熱いさなかで大きな扇風機が回っていた。
驚いたのはパネラー席も客席も同じパイプ椅子で、そのうえパネラーが三四名もいたことだ。円形に並んで、しかし客席は一〇〇名足らず。これで、四時間ほどの討論をどうやるのかと思った。
ところが始まってみると、A4一枚の紙にマジックでその場でキーワードを書き込む。それを掲げて三分間スピーチをするのだ。
この参加者が実に多様で農業者、林業者はじめ主婦、福祉、地域NPO、鉄鋼企業、蒲鉾など食品企業、大学、生協、経産省、農水省、日銀などだ。パネラーのスピーチが終わると、今度は会場からもやはり同様にキーワードを掲げて行う。
キーワードは、資本主義の行き詰まり、農、食育、村、多様性、共存、協同、コモンズ、身体性、愛、慈悲心などどこかで聞いたフレーズだ。そう、社会のいき詰まりと大転換の兆しは目に見えてきている。ここで新たな仕組みが求められていると誰もが語った。

さて、「怯えの時代」は、平成の大恐慌はいままでのどんな時代よりも深刻な破壊をもたらすという。不気味な内乱内戦などの予感もあるというのだ。
いままで能天気に目をそらしてきた国民国家と市民社会、資本主義経済のシステムの限界が露呈し、つながりを失いバラバラにされた個人がもつ不安と絶望の根拠を「自由」という言葉で書き表している。
自然や土地などの有限性を無視し人間を功利主義的な価値で統合して巨大システムを構築してきた。そのことの問題を、経済学者への批判とともに指摘する。資本主義は、発展を前提にし、拡大、膨張する生産、流通、消費の連鎖である。しかし、一旦この歯車が止まり逆回転しだすと恐ろしい。流通が生産を破壊し、金融が経済を破壊していく。この必然が活写されていく。
そうした現実のなかで今求められているのは、「悪」と「善」の価値観の再構築と共有だという。自然との共存のあり方だ。「連帯」という概念の再検討をも行っている。
ただし、自然との関係には、共存、互恵とともに対立もあるという。バラバラな個人の連帯というより、村や里のように共有された世界をとおして自然との関係があるという。もともと自然と人間が存在するというそれ自身のうちに矛盾があるのだ。この矛盾とつき合っていくことが連帯だと言い切る。
そうして、未来はまだ見えない。しかしそれは、一人ひとりのチャレンジから始まる。個と協同、つながりと自分だ。村は閉じていない。世界史的村としてある。
上野村中学校、暑さ厳しい体育館。雷鳴、大雨、この雨音のなかでの熱い議論。そして夕方、一転、晴れて蝉時雨に包まれた。

Author 事務局 : 2009年08月01日18:36

 
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