「日本の食と農」~危機の本質

神門善久 著(NTT出版)
評者 らでぃっしゅぼーや㈱ 竹内 周

 農業経済学者の氏は、日本の食と農というテーマで、まずその『危機の本質』を『エゴ』という言葉を使って、何者にも与せず、等しく明らかにしていく。消費者エゴ、地権者エゴ、農業者エゴなどそれぞれの『エゴ』が、どんな脈絡で『危機』を生み出したのかを、戦後から現在に至る緻密な調査よって説明してくれる。

 例えば農地を巡っては、農地法を軸にして、農業委員会、地方自治体、農水省へと連なる行政の枠組みによって管理されているが、その運用や解釈は年を経て変化していった。その結果として、基盤整備され水利の整った『優良農地』さえもが耕作放棄され拡大しているという指摘は、生産性が低い中山間地集落で高齢化によって進む耕作放棄という、国民一般が抱きやすいイメージとかけ離れていて驚く。
 そしてそのように変えていった主体に、実は農業に期待される本来の役割とはまったく別の、土地を巡る利権などの動機、すなわち『地権者エゴ』が存在していたことが明らかにされていく。
 また、もともと食料統制・配給の受け皿として戦前の全国農業会を母体に発足したJAグループが役割を変質させていった。五五年体制に至る政権党の集票組織として機能することで体制を磐石にして、その後肥大化が進んだ過程で必要以上に零細農家を保護したり、農産物の市場開放を拒むといった『農業者エゴ』がまかり通ってきた結果、本来十分に戦える能力を備えているはずの日本の農業の国際競争力も失われていったという。

 他方、食については『消費者エゴ』という。その原因を消費化社会という世界の趨勢からではなく、市民の行政不参加という日本特有の状況から論じる。
 安心、安全、食育、トレーサビリティー、グリーンツーリズム等などの文言が、いかに不毛に話題化され、繰り返されてきたか。問題が発生すればただ文句を言えばいい、という消費者の身勝手、マスコミの無節操。これらがかえって行政の肥大化を底支えし、農業者エゴ、地権者エゴの温床とも化していったという巡り合わせに帰結し、こうしたもろもろが氏の発するところの『お任せ民主主義』や『ポピュリズム』というキーワードに集約され、生産消費もろとも、日本の食と農を現在の危機的な状況に至らしめた……。

 氏はその上で「公明正大で公平なルールのもと最大限の自由を担保すべき」として、グローバル化が進む世界の流れに適応し、その上で日本の食と農は守られると論ずる。時勢に乗じた売らんかな本ではなく、体制やマスコミへの色気なぞ微塵もない。時折語られる体験談――幼少期の保守的な農村での暮らし、自給自足的な農を志すコミュニティへの参加、黎明期の提携運動での経験など――も真摯さを増幅する。別の本で氏が「おそらく僕は、ストックに由来する不労所得を嫌うということにかんして、徹底しています」と語っているのだが、本の終盤では国籍という見えない既得権にも触れ、ルールを厳格化したうえで、あくまでも開かれた日本の農業を展望していく。
 農地は本来誰のものなのか。あくまでも私たちは、学んだ上で、さらにどのような道を選択するかについて、考え続けなければならないと思われた。

Author 事務局 : 2009年03月29日15:20

 
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