『本質を見抜く力』~環境・食料・エネルギー~

養老孟司・竹村公太郎 著(PHP新書)

評者  Radixの会 竹内 周

 対談集だ。養老氏の前書きには「自分が生きてきた時代、様々なイデオロギーに翻弄された」とある。その上で氏は五感を重視するか、概念を重視するか、の違いを指摘した上、五感すなわち知覚できる実感や事実、「ヒトから見たモノ、それで社会を論じたい」という。オビには「日本の将来を本気で考える」とあるから、どうしても「ご高説賜ります!」と読む前に力が入る。
 しかし構成が対話形式ゆえか、日本語特有の話法も手伝い否定肯定が不分明で、二人の立場の違いもわかりにくい。対話の流れは速く、もうちょっと知りたいと思っても、話は強制的に先に行ってしまう。総じて何となく飲み屋で放談中の知的オヤジにお付き合いさせられているような‥‥。
 だからお酌でもするつもりで、あえてゆっくり読む。二人の知見を味読するのがいい。前書きには「モノという現実」から日本を見ようとする最初の試み、ともあって、今回はその最初のゲストとして竹村氏が招かれて話をした、と捉えてから読むことを勧めたい。そう読むと、ゲストが養老さんに何を理解して欲しいかがわかるのだ。
 今回のゲスト竹村氏は、東北大工学部土木工学科修士課程卒で元国土交通省河川局長。前に『AQUA』の水に関する書評で触れた、世界水フォーラムの事務局長でもある。主張に通底しているのは国土の開発という立脚点か。
 竹村氏は、マスコミの煽りなども含めた通説や俗説を表面的な情報として、教えられた歴史の解釈も一旦は排す。その上で、日本国ではなく、日本列島という「モノ」としての資源や状況、実力、事実を「解剖」し、その本質を整理する。
 基層もしくは下部構造のことをインフラと呼ぶが、食料やエネルギーを語る場合のインフラとしての「国土」を量的質的に論じようとする観点には、養老さんの「モノの見方」との共振性が感じられる。
 が、国が国土をどのようにイジったかについての実践編となると疑問符もつく。百年前と今では日本列島の緑が濃いと国家事業を称えても広葉樹林の激減に触れなかったり、官僚という方々には、持論と国論の両立という隘路が見え隠れする。どうしてもマクロな整合性を求めてしまうように思えた。
養老氏は言及しないが(例えば植林の成果について)、昆虫の生態系は百年では回復しないなど、あくまで自分の五感で情報を評価する態度を崩さない。
 さて、全体感としては、地球温暖化対策も、エネルギー問題も、食料も、世の対応や解釈、歴史認識に対して批判的な立場で話が進む。
戦争は石油争奪が主因、主義主張の違いは表層で、資源のない日本という前提でのエネルギー利用に活路がある。温暖化はデメリットだけではない、日本列島が南北に長いメリットが生きる。日本は小さいことに価値を見出してきた。少子化も、大きくなるよりはるかにマシだ。日本は水の国。水資源は足りているというモノサシで利用を組み立て直す。カロリーベースの自給率はまやかし、米も野菜もなんとかなる、問題は動物タンパクとしての水産資源だ‥‥etc。
 そんななか、農業について論じた農業経済学の神門善久氏を交えての鼎談は異色だ。氏は、日本農業の可能性はとても大きいとしながら現状を憂い、「公明正大で公平なルールのもと最大限の自由を担保すべき」と論じる。その中心に農地、雇用、加えて日本の民主主義の問題を据えて、無秩序化が進んでいる今の農政を正面から糾弾する。
 鼎談ではその体系化された中身の入り口を垣間見るが、ぜひ氏の著書『日本の食と農』で、その本質を読み解いてほしい。
 今後このシリーズが続いて、養老さんの「ヒトから見たモノ、それで社会を論じたい」という「モノの見方」が、多方面の事実と結びつき体系化されていくことを期待したい。

Author 事務局 : 2009年02月01日14:50

 
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