『パルシステムの産直「産直論編」』

編集:21世紀型生協研究機構
発行:パルシステム生活協同組合連合会 

評者  NPO野菜と文化のフォーラム 理事長 今野 聰

 産直を考えるホットなニュースに出合った。二〇〇八年五月二三日付け日本農業新聞の全面広告、「イオンと共同で『食育の場』作り」である。産地は秋田県JA秋田おばこ管内農事組合法人(生産者一三〇戸)。約一九〇ヘクタールで、九〇〇トンの米を生産する。この一括販売を「減農薬・減化学肥料栽培」で「こだわりの安全・安心米」というのである。「産直」は謳われていない。
 パルシステムの産直論は、本書で読むまでもなく、国産農産物の全般にわたる。とりわけ米の産直には長い歴史と挑戦がある。だからこそ、このニュースはホットなのだ。
 もうひとつ。さる五月二二日、NPO野菜と文化のフォーラム総会で、「提携」をめぐる論戦があった。つまり、「提携」では、一〇〇ヘクタール規模の野菜生産で一〇ヘクタールだけ有機栽培に転換する決断などには合わないのではないかという議論だった。珍しく「提携」生みの親である「一楽照雄思想」まで飛び出したからである。
 明らかに国産をめぐって事態は大きく動き、歴史的転換が進行している。こういう時、本書の提起する「産直論編」、いわば「原論」のもつ意味は大きい。論点を五つに絞る。
 第一は、すでにふれた「提携」問題である。第一章冒頭で、「食料と農業は統一的に把握するのが基本であり・・・生産者と消費者の新たなパートナーシップを確立」という。ここでは「消費者対生産者」という「対立の図式ではない」と明確にする。丁寧に「提携」ということばをよりわかり易くする。だからそれで良いのかどうかを論議すれば良い。
 そもそもパルシステムの前身「首都圏コープ」は「原型からの産直」であった。一九八〇年代に、この用語に接した時、大いに感動したことが忘れられない。「原型・原形・原色」などは、出来上がり「総菜」商品を一切含まない。家庭で各自が調理すれば良いことを含意する。そういうこだわりだった。だが、時代は変わった。米は「おにぎり・弁当・寿司」コーナーになり、コンビニの主力商品なのだ。これと戦ってこそ生協の産直であろう。だが本書では、「無洗米」論争にもふれ、反対論を紹介しながら、肯定する。原論としてこういう触れ方が魅力的である。
 第二に、産直に向かないという「チョイスバイイング」論。量販店に多い「販売対象にとってよいものだけを選んで調達」する方法を根本的に批判している。だから「原論」なのだ。一般に店舗形態では「よいものだけ」である。「売れ筋」発見ともいう。同一商品について棚で一日三回転する商品と、週三回転しかしない商品を比較すれば明らかである。こうして「バイイングパワー」、つまり「商品大量仕入れ力」だから、店舗主導の価格形成となり、押し付け問題になる。
 一方、パルシステムは店舗ゼロではないが、原則として運営しない。では店舗型生協はどうか。「他の生協においても、商品を調達する手段として産直が主流にはなりえない状況が続いています」とやや遠慮気味である。一九八〇年代の生協運動は、生協規制と戦かった。こうして「生協の社会的ポジション」とは「多数者の生協運動」を展開することだった。ついに一九九〇年、日本生協連とは別に生協店舗近代化機構を設立した。だが成功しないで今日に至った。しかし全国生協全事業量の半分は店舗事業である。そこには否応なしに「チョイスバイイング」が日常化している。その代表例が中国からの輸入品である「CO・OP冷凍餃子」でもあろう。今や刑事事件化しそうな雲行きなので深入りしないが、日本生協連はこれを産直商品には分類していない。むしろ「チョイスバイイング」商品であろう。そういう語論の展開が求められる。
 第三に、産直四原則にある「生産者と組合員相互の交流ができること」について。これはむしろ農協・生協のノウハウといってもよかった。ただし産地はなにも農協一本とは限らない。一方消費者は個々ばらばらという訳にはいかない。さらに「交流」は商品から始まって、産地援・縁農、消費地意見交換会、公認確認会など幅広い。今や「食育」までもある。
 私自身の三〇年にわたる交流体験では、どこの産地も女性の働き手を前面化することに不慣れだった。消費地は女性、産地は男性。その組み合わせが良いのだと変な理論も横行した。一方では、「男女共同参画社会」が声高い。どこかすっきりしない。だが、今や「食育」が前面化してきた。大手量販店の事例は先述した。ここはあまり、原論にこだわる話ではなさそうだ。
 第四は、生産技術体系に関する。一般に特定生産者集団の「独自農法」と言っても良い。地域内慣行栽培・飼育体系に対する独自性といっても良い。本書では、第二章「安全・安心・環境保全への取り組み」に編集されている。ここでは「ふーど」という共通語が形成されつつある。農協では一般に行政との共同作業が多いから「適地適作」プラス「環境保全」である。どうしても地域独自性が足りない。地域内一般慣行が第一義にされる。
 たまたま、さる四月に逝去した伊藤幸吉・元米沢郷牧場代表の年譜に重なった。BMW技術導入でほっとしたらしい一九九〇年代末、私は現地を訪ねた。その時、なんと余裕のある説明かと、聞きほれた。同じ山形県高畠町内には、星寛治氏らの農薬を一切使わない伝統的慣行稲作が、有機農業として磐石の支持を集めていたからである。これは一例である。本書では、さまざまの農法を知る機会にもなる。そういう配慮が嬉しい。
 第五はやや難問である。本書にもコラムで取り上げられている「フェアトレード・国際産直」(四二ページ)である。フィリピンのネグロス島産バランゴン種バナナの開発に取り組んだ一九九〇年初頭の苦闘、それが物語り風に書かれている。生協運動にも先駆者がいたというロマンは、今日の国際産直を「フェアトレード」つまり「公正民衆交易」に進める展望である。それこそ民衆収奪に対置した運動を措いてはありえない。だが、「国際産直」という枠組みプラス「フェアトレード」で解けるだろうか。それこそ「草の根交流」ではないのか。
 最後に、続くシリーズ『記録編』(二〇〇八年四月刊行)、『物語編』(同五月刊行)に期待する。

Author 事務局 : 2008年07月01日12:38

 
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