『iPodは何を変えたのか?』

『iPodは何を変えたのか?』
スティーブン・レヴィ著 上浦倫人訳
ソフトバンク クリエイティブ

 原題は「iPod : The Perfect Thing」。コンピュータ初期の名著「ハッカーズ」や「人工生命」、「暗号化」を書いた「ニューズウィーク」チーフテクニカルライター、スティーブン・レヴィに「パーフェクト」とまでいわせたiPodとは、米アップル社が2001年から発売をはじめた携帯音楽プレーヤーだ。今年4月で世界の累計販売台数が一億台を突破した。これはソニーの「ウォークマン」が13年かかった記録を半分以下の5年半に縮めた歴史上最速のペースだ。また、同アップル社のオンラインストア「iTunes Store」は、すでに25億曲以上の音楽と5000万本以上の映像コンテンツをネット販売している。

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しかし、この本で語られているのは、単なるIT家電製品の成功ストーリーではない。ただの携帯音楽プレーヤーに、ニューヨーク近代美術館(MOMA)にコレクションとして収蔵されてしまうほどの美的洗練を与えてしまうデザイナーの情熱、誰もが絶賛するシンプルで素晴らしい操作性やオンラインストアの魅力的なサービスとの継ぎ目のない連携性を設計した技術者たちの情熱は、一種の「狂気」だったことが読むうちにわかってくる。
「いいものであればいつかは受け入れられる」というのは傲りだろう。たとえ高度な技術を保有していてもそれが世の中に受け入れられないケースはいくらである。音楽業界の未来は楽曲のダウンロード販売にあると誰もが思っていたが、誰にも成功させることができなかった。しかしアップルのCEO、スティーブ・ジョブズは既得権益にしがみつこうとする古い体質の音楽業界と戦って、ネット配信による新しい流通システムを確立してしまった。なぜか?アップルは熱狂していたからだ。音楽とコンピュータの結合に。
また、日本ではWinnyに代表される、P2Pによる違法音楽コピーについても、ジョブズは「われわれは違法ダウンロードと戦う。訴えるつもりも、無視するつもりもない。競争するつもりだ」と発言している。実際に「iTunes Store」は違法ダウンロードを超える人気をもつ世界最大の音楽ストアとなってしまった。
著者がまだ発売前のiPodをみせびらかしたときのマイクロソフト会長ビル・ゲイツの反応や、ブッシュ大統領、チェイニー副大統領とiPodのエピソードをはじめ、興味深い話しがこの本の全編で紹介されている。なかでもわたしは、iPod 開発者アンソニー・マイケル・ファデルの逸話が好きだ。「もし、コンピュータがない時代に生まれたらどうしていましたか?」と聞かれて彼はこう答えたという。
「刑務所に入っていたね。」
革新的なテクノロジーがみせる強烈で明快なビジョンは失意の若者を救いうる。文学やロックミュージック、映画でも満たされることのない若者、自分自身でもどこに吐き出していいかわからない情熱と欲望をかかえた青年を、ある種の技術は解放させることができる。伝説的ロックバンド「グレイトフル・デッド」の中心人物、ジェリー・ガルシアでさえ「テクノロジーは新しいドラッグだ。」と言って死んだのだから。
はたして現在の日本農業に、そんな若者を挑発し誘惑する新技術がどれほどあるのだろうか。いや、ないはずはない。しかし暴力的で官能的で胸がワクワクするような、人々をどうしようもなく熱狂させてしまうようなiPod的何かが欠けているのではないだろうか。農業とIT業界を、「自然」対「人工」、「アナログ」対「デジタル」といった陳腐な二元論で区別していては見落とすものがあるはずだ。また、イトーヨーカドーやイオンにあって生協にないもの、それもiPod的視点かもしれない。
さて、アメリカでは6月29日に、アップル社の革命的な携帯電話iPhoneが発表された。日本での発売はまだだが、すでにソフトバンクやDocomoグループによって販売権の争奪戦になっているという。かなりの高額になるだろうといわれている日本版iPhoneだが、日本の若者がこれに熱狂するのはまず間違いないだろう。
評者 井上忠彦

Author 事務局 : 2007年08月25日17:38

 
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