『千年、働いてきました』

『千年、働いてきました─老舗企業大国ニッポン』
  野村 進 著   角川書店

日本は『老舗』の製造業が際立って多い国だそうだ。海外とりわけアジアに詳しい著者は華僑、印僑に代表される『商人のアジア』との対照から、日本を『職人のアジア』と位置づけ、日本の老舗製造業の本質を探る。取材先は創業百年以上の日本のモノづくり企業21社。彼らは百年を『どのように』ではなく『何によって』生き残ってきたか……

186HP.jpg
  「五感でしかわからない世界をなくそうとしているのは、非常に危険」「アナログの世界に特化していこう」「どんなに進歩しても最後の1パーセントは職人の世界」……例えば、このように発言する老舗企業のそれぞれが、モノづくりにおいて世界でトップのシェアを誇っていたりする。プロジェクトXのようではあるが、ドラマ仕立てではない。デジタルを単純に否定するような話でもなく、切実であり、冷静に技術を極めていく話だ。
 対するに現代の企業はマニュアル化全盛と言われる。インターネットが象徴する情報化社会、HACCPやISO、WTOなどの『標準化の価値観』も席巻している。規則どおり、分類・数値化された情報を求め、規格という容れ物を置くことで、全体として『ある程度』満足できる世界が生まれるはず。現代社会は、それは『善』である、との合意を形成したようだ。このような合意に、つくり手側も翻弄されていく。
 しかし読み進むと、こうした動きが表層と思えてくる。規則、数値、規格というものが既知の価値に対し割り振られるのに対し、モノづくりとは、未知の価値を生み出す技術の総体を指すのではないか?既知の需要は必ずや他の誰かが担う。既知の価値は(特許でも生まない限り)企業の『個』ではなく需要の『群』で生き残る可能性が高い。
 ならばモノづくりにおける技術の未知、または基層とは何か。小なりとはいえ、現代を生きる日本の老舗製造業は、百年をどのようにではなく、何を基層として生き残ってきたか。
 それは、何かを突き詰め見出される規格以上の価値、または規格にハマらない価値を指すのではないか?発見は偶然の賜物と聞くが、偶然から再現性を獲得する営みを技術とするならば、その偶然の母体は時間。短期の成果ではなく、長期の継続、発見の継承が、未知の新しい技術を生み出し、未完の技術を補完していく。仮に道具立てが揃っているなら、足下の秘密が意外やあるはずという示唆。
 この意味で、作品の底流をなすのは百年単位の『時間』である。
 モノづくりの基層は、百年の単位において見出され、その百年を引き受ける『つくり手の聖域』においてこそ育まれるのではないか?その立脚点から、時間を軸にして(精神性ではなく)技術から、千年単位の日本を誇る話が生まれる。モノづくりの聖域は存在するという、そんな作品だ。

評者 竹内 周 (Radixの会)

Author 事務局 : 2007年06月25日17:00

 
Copyright 2005-2007 Takumi Shudan SOLA Co.,Ltd All Rights Reserved.