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<title>Book Review</title>
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<modified>2010-01-17T12:22:48Z</modified>
<tagline>BM技術協会は、BMW技術を研究、活用、普及し、「自然観を変え、技術を変え、生産の在り方を変える」ことを目指すものたちの全国組織です。</tagline>
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<copyright>Copyright (c) 2010, bm_kanri</copyright>
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<title>『地球生態学で暮らそう』</title>
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<issued>2010-01-01T12:21:06Z</issued>
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<summary type="text/plain"> 槌田 敦 著（ほたる出版） 評者　竹内　周（らでぃっしゅぼーや株式会社） 　農...</summary>
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<dc:subject>963『地球生態学で暮らそう』</dc:subject>
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<![CDATA[<p><br />
槌田 敦 著（ほたる出版）<br />
評者　竹内　周（らでぃっしゅぼーや株式会社）</p>

<p><br />
　農地や漁場は、盆栽や水槽と同じ。これらを上手に管理し、豊かにする法則や条件を基本から探す。この目的のもとで、「エントロピー」という観点から、自然現象、生命現象、そして人間活動との関わりを教えてくれる本だ。<br />
　エントロピーとは、有名な熱力学第二法則のことだそうだが、理解するのは難しい。これをとりあえず、事物と時間は冷徹、「覆水盆に返らず」の法則で動いているものだ、と捉えてみる。割れたコップは元に戻らない。この法則から導き出される現実は、同じ世界が二度とやってこないという、感覚的には受け入れにくい世界だ。<br />
　ところが地球はその法則をうまくやり過ごし、あたかも「覆水を盆に返す」現象の体系で成立しているようなのだ。<br />
　この本はその現象の一つ一つを、エンジン（熱機関）になぞらえ、教えてくれる。生命のエンジン、気象のエンジン、土の生態系というエンジン。すべての運び役としての水の存在、地球規模の物質循環に無視できない働きをする動物の役割、さらには人間社会エンジン、生態系の一部……。そのすべてを、連環したひとまとまりの系として学ぶ。これが地球生態学、ということだろう。<br />
　さて、そのエンジンが機能不全に陥っている。その状況や原因、そして語られる対策は、地球を装置に見立て、運び役としての水と、人間も含めた生物を積極的に介在させた代案提示だ。<br />
　湧水はただのＨ２Ｏではない。動植物の遺体や糞尿の分解で得られる水溶性の有機物が溶け込んでいる。濁った川は単に汚染と捉えるのではなく、生命が介在することで栄養と見なすことができる。植物はチッソ、リン酸、カリ単体を選択的に摂り込むのではなく、土という生態系がもたらす養分、それと機能の全体を活用するもの。人糞生ゴミも個別処理で悩むより山に戻すことで森が豊かになる……。<br />
　地球生態学から見える世界は、あたかも巨大なＢＭ装置のようだ。そこには貴賎清濁なく、上下も左右もないという前提で、我々の常識や思い込みに水を差す。農地や漁場は、盆栽や金魚鉢と同じ、人工の生態系としてデザインし直す発想が必要だ。<br />
　悩ましいのが人間エンジン。欠くことのできない農業が、科学技術による過剰生産と、自由貿易による過剰貿易によって機能不全に陥ってしまった結果、世界各地を砂漠化に追い込んでいると指摘する。灌漑と化学肥料による大規模な単一作は、短期の収量増を実現するが、水の枯渇と塩類集積が不採算をもたらし、耕作放棄の果て砂漠化へと突き進むという。生産された安価な作物は、自由貿易の名のもとで半強制的に輸入させられる国々（日本も？）が営む農業も不採算化し、覆水盆に返らず、の耕作放棄が進むという。<br />
　人間社会の活動が生態系を棄損するという周知の事実からは、生態学と経済学を分けて論じるのはナンセンス、人間社会も地球エンジンの一員として積極的に参画すべき、という結論が導き出されると思いきや「自給のための半日農業」に帰着する。どうしてなのかはぜひお読みいただきたい。<br />
　本書は、誰も言わない環境論『ＣＯ２温暖化説は間違っている』『弱者のための「エントロピー経済学」』に続く三部作の第三作だ。時間は不可逆だから、どんな技術も「覆水を盆に返す」ことなどできないのだが、通読すれば、技術を通して人間が地球にどのよう関われるのか、改めて考えることができるような気がする。<br />
</p>]]>

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<title>『黒い牛乳』</title>
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<modified>2009-12-09T06:44:46Z</modified>
<issued>2009-12-01T06:43:33Z</issued>
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<summary type="text/plain">中洞　正　著　（幻冬社） 評者　　山本 伸司   ＢＭ技術協会 常任理事（パルシ...</summary>
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<dc:subject>964『黒い牛乳』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>中洞　正　著　（幻冬社）</p>

<p>評者　　山本 伸司   ＢＭ技術協会 常任理事（パルシステム生活協同組合連合会）</p>

<p></p>

<p>　書名を見ただけだと、またドギツイ告発本かと胡散臭さを感じてしまいそうだが、読んでみると内容は実に真っ当だ。酪農だけでなく、現代の日本農業と消費のあり方が抱える問題をするどく表していると感じた。すごい本だと思う。<br />
　いまの日本酪農はいくところまで行きついた感がある。先が見えない。昨年の飼料高騰では府県酪農の破産と離農が最高数に達した。実は近年にない三円の乳価値上げがあったのだが焼け石に水だった。どうして酪農に未来が見えないのか。<br />
　この要因に「不足払い法」があると指摘される。これは一九六六年制定の「加工原料乳生産者補給金等暫定措置法」といい、農水大臣に指定された「指定生乳生産団体」が生乳を一括集荷し乳業メーカーに渡す仕組みである。制度上は国・農畜産業振興機構が酪農家に補助金を給付し、メーカーには基準取引価格として安く販売するとしている。いまは昔の米の食管法と同様だ。しかしこの補填金の原資を支えるために酪農家と乳業が負担するといった情況となっている。<br />
　本来、「不足払い法」は、生産者の過渡な競争を抑制し不透明な取引を排除し弱い立場になりがちな生産者を育成する措置として時限立法で制定された。それが、継続されるに従ってガチガチに固定され、むしろ「指定生産団体」の指定する生産方法や出荷から逃れられないようになっている。これに逆らうと、乳業業界で「アウトサイダー」と呼ばれてほとんど村八分のようにされる。補助金をはじめ様々な困難が待ち受けることとなるようだ。逆に、指定の生産を行い、出荷すると安定した経営ができるとされていた。ところがそれもいまは、おぼつかない状況だ。<br />
　日本の酪農の問題点が明確に指摘される。穀物飼料の多投、とりわけトウモロコシへの依存。この飼料用トウモロコシの輸入量は千二百万トン。その九割がアメリカ。輸入依存も問題だが、穀物依存が四つの胃袋をもつ牛の生理に無理を強いること。搾乳量の増大は、実は無理なコストダウンを強いることとなる。つまり、人工的な酪農のあり方が極限まできてしまい、それが逆に牛乳の価格破壊をもたらしているという悲劇が語られている。<br />
　では、中洞さんが目指す酪農とは何か。日本の自然に適した放牧牛乳である。放牧というと北海道の広大な土地を思い描くが、そうではない。岩手県の北上山中の岩泉町にある。日本のどこにでもある山地に自然放牧し、草地は野シバに、雑木林では下草を食べさせるのだという。これを耕すことも肥料をまくこともしない。しかも、周年で放牧し種付けも分娩も自然とする。このことで病気知らずの健康な牛ができるという。子牛は母牛から毒草を学び、かなりの崖も平気である。自然なおいしい牛乳が採れる。<br />
　こんな酪農が本当にあるのかと俄かには信じられない。しかし、やはり販売の関係で苦労をされている。まずは生産方法が牛乳の質を変える。とくに乳脂肪分が異なる。穀物飼料が多いと乳脂肪は高いが、放牧だと低くなり指定生産者団体の基準を満たさない。さらに、出荷の条件が様々に合わず農業資材も購入しない。こうして、ついにアウトサイダーとなっていく。中洞さんが、ここで自立していくキッカケとなったのが、「らでぃっしゅぼーや」との出会いだったという。結果的には取引にまでいたらなかったが有機農業に関する消費者の意識を学んだという。そして直販の重要性を知った。それから、自立への道を歩んでいく。<br />
　中洞さんの夢は、全国に山地酪農とミニプラントの輪を広げたいということだ。広大な山林が今荒れている。この再生と酪農を結び、自然放牧で輸入飼料に変わるおいしい牛乳を生産することだという。まさに、目から鱗が落ちるとはこのことだ。すばらしい。<br />
　いまパルシステムは、日本型畜産への挑戦を進めている。草地型酪農、自給飼料拡大など、しかしこれは簡単ではない。しかも殺菌温度にこだわったとはいえ、飼い方は、まだまだ既成のものが主流だ。こうしたなかで大部分の酪農家は現状に満足していない。価格下落傾向は続き、輸入飼料の高騰は経営を圧迫している。ここからどう酪農の未来を展望するのか。<br />
　もうひとつの酪農の可能性が見えてきた。問題は、ガチガチに固まった現実とこの可能性との大きな乖離をどう超えていけるかである。この入口こそは、生産者と消費者の連携にあると思う。良いことばかりではなく、悪いことも共有し本来のありたい姿を描くこと。未来を描くこと。そのこと抜きに展望は開けない。その契機となる問題提起がこの本には詰まっている。これは、ひとり酪農だけの話ではない。日本農業のそして消費者の課題ではないかと思う。</p>]]>

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<title>『水とは何か』</title>
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<modified>2009-11-05T09:48:01Z</modified>
<issued>2009-10-31T17:49:02Z</issued>
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<summary type="text/plain">上平  恒　著（講談社ブルーバックス） 評者　奥地 拓生 （岡山大学  地球物質...</summary>
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<dc:subject>965『水とは何か』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>上平  恒　著（講談社ブルーバックス）</p>

<p>評者　奥地 拓生 （岡山大学  地球物質科学研究センター准教授）</p>

<p><br />
　水の研究のことを、研究者間で「水商売」と言い表すことがある。この言葉には、水の研究は堅気の仕事ではないという意味が、そこはかとなくただよっている。もちろん、水の性質は多くの科学者が古くから取り組んでいる課題であり、長い歴史を経て何度も確認され、事実として確立した重要な研究成果がたくさんある。だが残念ながら、不確かで再現できない実験結果がもとになって、概念を表す言葉が独り歩きするような研究が、確かな研究よりも多いのも事実である。このような水の研究の現状を知りたい読者に対して、「水とはなにか」を最新・最適の一冊として推薦したい。水という物質がいかに難解で、魅力的で、いちど研究を始めたら足を洗いがたい対象なのかがよくわかるだろう。<br />
　本書は著名な水の研究者である上平氏が、一九七七年に書かれた同名の書の新装版である。旧版への知人の研究者の評価では「読んで内容の古さを全く感じない。それだけ、よく研究され確かめられた基本的なことを書いている」となっている。私も水についての基礎的な勉強をするときに、旧版の「水とは何か」および、同じ著者のいくつかの専門書には大いにお世話になった。そして今回の新装版では、旧版を土台にしつつ、過去の三〇年間の研究の進展により得られた成果がさらに盛り込まれた内容になった。あとがきにある「水科学研究会」での活発な議論の内容がこの改装に貢献していると推察する。<br />
　以下に本書の内容を概観する。第一章は固体・液体・気体の区別をはじめとした、物質を理解するための基本的な概念を物理にもとづいて解説しており、水の科学を理解するためのまさに土台となる。「水商売」といえども、確立された物理的概念に即して他の物質と同じ土俵で研究を進めていけば、きちんとした研究ができるわけだ。読者には本書の途中で内容についていけなくなったときには、もういちどこの章に戻ってきていただきたい。<br />
　第二章は水の構造についての解説である。構造とはつまり、Ｈ2Ｏとして知られる水の分子が、液体の水のなかで互いにどのように結合しており（静的構造）、互いにどのように運動しているか（動的構造）を表す概念である。たとえば一時期にかなり流行した「水のクラスター」は、水の構造について出された概念の一つであり、残念ながら言葉の独り歩きの代表例でもある。クラスターの存在を確認する独立した実験結果は九〇年の提案以後、全く提出されていない。クラスター仮説の根拠となった実験結果（酸素一七のＮＭＲ）については、別のプロセスによって完全に説明がつけられる。このあたりの事情も詳しく説明されている。第三章は「水溶液」、つまり各種の物質が水に溶けたもの、そして第四章は「界面の水」の構造の解説である。第二章における純粋な水の科学の拡張として、生物と水のかかわりを考える上で、これらの二つの概念はどうしても必要なものである。<br />
　第五章の「生体内の水」が本書の白眉である。水溶液や界面の水の構造を手がかりとして、生物の体内で水が果たしている役割を解き明かしてゆく。第四章までの内容が比較的確立されているものであるのに対し、この章で語られている研究は現在でも進展が速く、それに伴う将来の内容の変化が予想される。つまりこの章の一部は将来書き変わる可能性がある。読者にはこの章で使われている物理的概念（蛋白質の高次構造、生体高分子の水和、水の構造化、など）の意味するところに特に留意して読み進めていただきたい。以上の概念は第四章までに解説された研究によって確立されたものであり、それを使った生体系の水についての解釈は変わり得たとしても、概念そのものの重要性はおそらく不変（普遍）である。また以上の概念は独立した複数の実験および追試によって確認されてきたもので、それがクラスターとは異なる点であることも読み取っていただきたい。第六章及び第七章は、温度や圧力が異なる世界での生体系の水の振舞いを述べている。この二章の内容も現在急速に進展しているが、そのいくつかの例が応用に重点を置いてわかりやすく述べられている。<br />
　本書の全体を通して、著者の物性物理学・物理化学に対する深い理解と、それを水の科学に応用しようという静かな情熱を感じ続けることができる。残念ながら一読して理解ができるわかりやすい本ではない。言葉の意味を考えながら数回読み返す必要もあるだろう。水の科学とはまさにそのようなものである。もし今後、水を語るわかりやすい言葉に出会ったら、本書をもとに詳しく吟味してみる、そのような使い方ができる本である。</p>]]>

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<title>『自然の野菜は腐らない』</title>
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<modified>2009-10-06T04:47:33Z</modified>
<issued>2009-10-01T04:46:55Z</issued>
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<summary type="text/plain">河名　秀朗　著　（朝日出版社） 評者　竹内　周 （らでぃっしゅぼーや株式会社） ...</summary>
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<dc:subject>966『自然の野菜は腐らない』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>河名　秀朗　著　（朝日出版社）</p>

<p>評者　竹内　周 （らでぃっしゅぼーや株式会社）</p>

<p>　この本は、自然食品店・ナチュラルハーモニーの代表の著者が、自然栽培について、氏の経験と、各地の生産者との出会いや考え方をまとめた本だ。<br />
　表紙に「奇跡のリンゴの木村秋則さん推薦。腐りにくく、醗酵し易い。虫や病気にやられない。肥料を使わずにおいしい自然栽培の野菜とは？」との副題。自然の野菜とは、氏の言う「自然栽培」の野菜のこと。文中から拾うと、どんな農薬も肥料も、有機肥料さえ使うことなしに、土と種子の力だけで育った野菜、虫も雑草も敵にしない、自然の調和の中で育つ野菜、のことだ。</p>

<p>　すぐに思い浮かんだのが、不耕起、無農薬、無肥料、無除草と、とにかく何もしない農法で、今でも世界に影響を与え続けているといわれる、『わら一本の革命』著者、福岡正信さんの自然農法。そしてＭＯＡ自然農法。農薬化学肥料は認めないが、有機質の肥料や堆肥の施用を認め、厩肥も暫定的に認めて認証し、自然農法と呼んでいる。<br />
　この本ではあえて「自然栽培」。自然界の植物が虫にも病気にもやられず健康に育つあり方をお手本に、人為的な施肥には懐疑的な立場をとるのが共通点と言える。いずれも一九八〇年代以降に意識され始めた、自然の営みが備える「質」を再現する考え方だったと記憶する。</p>

<p>　一九七〇年代以降、すなわち農業基本法から農業を始めた方々の、農業の手法や考え方についての現在までの変化は、どのようなものだっただろうか？<br />
　生産から販売手法までの一連の流れを機械と石油の高度活用、規模拡大、流通網の一元化などで効率化を推し進め、それらのツケとしての健康被害や環境汚染、際限のない設備投資を強いられる一方で農業人口は激減、という大きな「疑問」の時代であった。<br />
　その中で、より安全な農産物が欲しいという消費者ニーズに応える形で生産と販売手法が模索され、それらは有機農産物とか、環境保全型農産物という呼び名で、それまでの「ふつうの」農産物とは違う野菜と販売手法を伴って需要が拡大していった八〇年代後半から九〇年代。こうした流れは、いまや主流をなす勢いで、今後も流通構造の変化を伴い留まることはないように思える。</p>

<p>　が故に、量産を抜きには語るべきではない構造も準備された。肥料もそうだ。あまり顧みられなかったのが、技術の本質的な問題であったような気がする。<br />
　残念なことに、この本に技術論はないが、野菜の質が、有機や特別栽培などの表示とは無関係であること、とりわけ「肥料」という存在が、生産の本質である「量」という生産の欲望の本質を象徴しているが故に、常に懐疑的であるべきことを訴えている。そしてもう一方の本質である「質」について、八〇年代当時の「疑問」に立ち戻り、あれから三〇年を経た今、技術者たる農業者の皆さんに、自然の営みが備える「質」を再現するという考え方について、再考を促している。<br />
　畑・田んぼの営みを、物質循環と生態系との関わり、生物学的な酵素反応の連続と見做したとして、「肥料」はそこにどんなふうに働きかけたらいいのか、土はどのような状態であるべきなのか、気になるところだ。</p>]]>

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<title>『リンゴが教えてくれたこと』</title>
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<modified>2009-09-03T11:09:47Z</modified>
<issued>2009-09-01T11:09:02Z</issued>
<id>tag:www.bm-sola.com,2009:/book/7.1847</id>
<created>2009-09-01T11:09:02Z</created>
<summary type="text/plain">木村　秋則　著　（日本経済出版社） 評者　石澤 直士  ＢＭ技術協会常任理事（常...</summary>
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<dc:subject>967『リンゴが教えてくれたこと』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>木村　秋則　著　（日本経済出版社）</p>

<p>評者　石澤 直士  ＢＭ技術協会常任理事（常盤村養鶏農業協同組合）</p>

<p><br />
「かまどけし　呼ばれても　明日の農業　道開く」（兵庫県在住歌人が木村さんを詠んだ）<br />
「私には夢があります。日本の農を変えることです……」（木村さんの手紙より」<br />
木村秋則さんの講演を聞いたのは、今から三年前の二月頃だったと思う。あの時の感動は、今でも忘れられない、ちょうどＮＨＫで「奇跡のりんご」が放送されて話題になっていたのだが、青森県内での評判は、あまり良くなく、農薬を使っていないので木村さんの畑の周囲の方は、あまり良く思っていないとか、周りの農薬がかかるので無農薬をやれるのだとか、あまり良い噂は聞こえてこなかった。でも、どういう訳か私の父からは、「木村さんは面白い人」とは聞いていた。私も数年前にお会いしているのだが、その時は、私自身、心ここにあらずだったので（リンゴは農薬なしで出来るはずがないとの固定観念があった）そんなに、印象には残らなかった。ところが、映画「白神の夢」が問いかけている事、それに伴うＢＭ技術協会が取り組んでいる山･川･海の循環システム、これをどの様に具体化させて行くのか、その絡んだ糸を見事に解してくれたのが木村秋則さんの講演会だった。確かに父の言うとおり「面白い人」である。その面白さの裏側には、木村さん自身が敢えて挑戦した、今までの筆舌に尽し難い生き様を、本書の第一章から第三章までが物語っている。<br />
しかし、木村さんとお会いするとその明るさと面白さの原点は、その苦難の時期に醸成された屈託のない本物の笑顔と本物のお話がもたらすものなのだと言う事がよくわかる。それは、第三章に詳しく書かれている。大切なのは、自然をよく観察する事にあり、自然栽培と放任栽培が全然違うものであることがわかる。<br />
講演会では、木村さんは、リンゴが一つもなっていない園地ですることが何も無く、もし自分がリンゴだったらと考えている時、黙って上を向いていると口の中に虫が入って思わず噛んでしまった経験を話す。そこで、木村さんは、「皆さんは虫を食べた事が有りますか？」と、参加者に問いかける。すると会場からの返事は「ありません」。すると「どんな味がすると思いますか？」とさらに問いかける。参加者からは、様々な反応があるが、誰も本当に食べたことが無いものだから、確たることは言えない。そこで、しばらく間を置いて木村さんは「そうです。苦いんです」と語る。ここで笑いが巻き起こる。また、皆さんは「葉の落ちる音を聞いたことがありますか」と、本物の葉をひらひらと落としながら問いかける……「パサッ」。「この音が私にはバサッとかガサッと聞こえました」この言葉の響きはとても重いのだが、木村さんがお話しするとなぜか笑みがこぼれる。決して笑ってはいけないのだが、この辺が面白い人の所以である。<br />
「自然のものは枯れるが人の作ったものは腐る」この一言も重い。第四章にそのことが書かれている。ＢＭ技術協会の皆さんはこの意味がよくわかると思うので、詳しくは本を読んでみて頂ければ、納得されるのではないだろうか。<br />
本書を読む方へのメッセージとして、木村さんは、「すべては観察から始まる」そして「死ぬまで探求」と語っている。</p>]]>

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<title>『怯えの時代』</title>
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<modified>2009-08-09T09:37:48Z</modified>
<issued>2009-08-01T09:36:14Z</issued>
<id>tag:www.bm-sola.com,2009:/book/7.1846</id>
<created>2009-08-01T09:36:14Z</created>
<summary type="text/plain">『怯えの時代』　　内山 節　著　（新潮選書） 評者　山本伸司 ＢＭＷ技術協会常任...</summary>
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<email>mt_master@bm-sola.com</email>
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<dc:subject>968『怯えの時代』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>『怯えの時代』　　内山 節　著　（新潮選書）</p>

<p>評者　山本伸司 ＢＭＷ技術協会常任理事（パルシステム生活協同組合連合会）</p>

<p></p>

<p>―国民国家と市民社会、資本主義経済のシステムの限界と未来について</p>

<p>世の中がおかしくなっていると感じられる。<br />
金融崩壊の責任者たちは、少しも責任を取らずにまじめに働いている人たちが切られていく。一生懸命働いても少しも楽にならない。それは、なぜか。そしてどうすればいいか。</p>

<p>昨年、哲学者の内山節氏が呼びかけた群馬県上野村で開催された「新たな多数派の形成をめざす上野村シンポジウム」に参加した。高速道路を降りてウネウネと続く山道を行き山の中にある小さな村の中学校の体育館が会場だ。八月の熱いさなかで大きな扇風機が回っていた。<br />
驚いたのはパネラー席も客席も同じパイプ椅子で、そのうえパネラーが三四名もいたことだ。円形に並んで、しかし客席は一〇〇名足らず。これで、四時間ほどの討論をどうやるのかと思った。<br />
ところが始まってみると、Ａ４一枚の紙にマジックでその場でキーワードを書き込む。それを掲げて三分間スピーチをするのだ。<br />
この参加者が実に多様で農業者、林業者はじめ主婦、福祉、地域ＮＰＯ、鉄鋼企業、蒲鉾など食品企業、大学、生協、経産省、農水省、日銀などだ。パネラーのスピーチが終わると、今度は会場からもやはり同様にキーワードを掲げて行う。<br />
キーワードは、資本主義の行き詰まり、農、食育、村、多様性、共存、協同、コモンズ、身体性、愛、慈悲心などどこかで聞いたフレーズだ。そう、社会のいき詰まりと大転換の兆しは目に見えてきている。ここで新たな仕組みが求められていると誰もが語った。</p>

<p>さて、「怯えの時代」は、平成の大恐慌はいままでのどんな時代よりも深刻な破壊をもたらすという。不気味な内乱内戦などの予感もあるというのだ。<br />
いままで能天気に目をそらしてきた国民国家と市民社会、資本主義経済のシステムの限界が露呈し、つながりを失いバラバラにされた個人がもつ不安と絶望の根拠を「自由」という言葉で書き表している。<br />
自然や土地などの有限性を無視し人間を功利主義的な価値で統合して巨大システムを構築してきた。そのことの問題を、経済学者への批判とともに指摘する。資本主義は、発展を前提にし、拡大、膨張する生産、流通、消費の連鎖である。しかし、一旦この歯車が止まり逆回転しだすと恐ろしい。流通が生産を破壊し、金融が経済を破壊していく。この必然が活写されていく。<br />
そうした現実のなかで今求められているのは、「悪」と「善」の価値観の再構築と共有だという。自然との共存のあり方だ。「連帯」という概念の再検討をも行っている。<br />
ただし、自然との関係には、共存、互恵とともに対立もあるという。バラバラな個人の連帯というより、村や里のように共有された世界をとおして自然との関係があるという。もともと自然と人間が存在するというそれ自身のうちに矛盾があるのだ。この矛盾とつき合っていくことが連帯だと言い切る。<br />
そうして、未来はまだ見えない。しかしそれは、一人ひとりのチャレンジから始まる。個と協同、つながりと自分だ。村は閉じていない。世界史的村としてある。<br />
上野村中学校、暑さ厳しい体育館。雷鳴、大雨、この雨音のなかでの熱い議論。そして夕方、一転、晴れて蝉時雨に包まれた。</p>]]>

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<title>「小説『日米食糧戦争』日本が飢える日」</title>
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<modified>2009-07-15T12:33:50Z</modified>
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<summary type="text/plain">「小説『日米食糧戦争』日本が飢える日」 山田　正彦　著 （講談社） 評者　竹内　...</summary>
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<dc:subject>969「小説『日米食糧戦争』日本が飢える日」</dc:subject>
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<![CDATA[<p>「小説『日米食糧戦争』日本が飢える日」<br />
山田　正彦　著 （講談社）</p>

<p>評者　竹内　周 (らでっしゅぼーや株式会社)</p>

<p>　田植えを終え、幼い苗が空の青を反射する水田を眺める。その苗たちが、秋には豊かな実りをもたらしてくれるだろうかと、本当に心配だった。…そんな思いが巡った昨年の春。幸いこの年の米は平年作だったが、ご存知の通り、飼料価格が高騰、食品の相次ぐ値上げなど、食料安全保障について、強く考えさせられた年だった。</p>

<p>　資源のほとんどを海外に依存する日本は、ＷＴＯ体制を主軸に輸入拡大で規制緩和、国内的には中小の作り手に規制強化的だ。しかし汚染米や残留農薬などの数々の事件では、安穏然のお役所仕事がその杜撰さを露呈し、ならば職員を増やせと、官僚支配の構造はちゃっかり強化されていく。<br />
　こんな状況で、国益最優先国家のアメリカが、食糧の輸出をストップしたら、日本はどうなってしまうか？たとえばその年が九三年のような冷夏で、輸入穀物をめぐる数々の危機――輸出国の旱魃や、巨大台風――が同時に起こってしまったとしたら？…という仮定がこの小説の主題だ。</p>

<p>　筋書きは、米大統領の輸出規制宣言が「起」。そこから起こる様々なパニックの連鎖が「承」。日本国内の治安の維持すら危ぶまれての内閣総辞職で、もと野党から政権与党に「転」じた主人公代議士ほかの粉骨砕身の活躍で、国家未曾有の危機が救われていくという「結」とたいへんわかりやすい。<br />
　国内の様々な状況が筋書きをカタルシスへと加速させていく。情報の多様化が進んだように見えるのに、記者クラブ発表の画一情報を、視聴率稼ぎのニュース番組というフィルターを通して、大量に排出し続けるしかないマスコミ。その画一的均質的な情報に付和雷同するしかない巨大多数の普通の人々。その一方、反社会的なバイアスでインターネット網にネットワークされていく格差社会のアウトサイダー、企業の底辺、現場の労働者たち。<br />
　政治家、官僚の習性を知り尽くし、ロビー活動を進めつつ虎視眈々と時節の到来を準備する穀物メジャー。トップは語る……「わが社は世界戦略としての強力な武器になる遺伝子組み換え種子を持っており、その種子が最も強力な武器となるのは、これまでにない最大の食糧危機の年、今年である。食糧こそが世界を支配する力、言ってみれば核ミサイルにも匹敵する戦略兵器である」と。</p>

<p>　日米同盟という幻想からか危機意識が薄く、外交交渉能力も低い現政権や官僚組織を悪に見立て、志高い野党政治家と官僚を善とする図式で、現在の日本の危機管理能力のなさを「政治の責任」として整理できたことも、小説としてわかりやすい。<br />
　農業の経験を持ち、野党代議士となった主人公の人物像には、著者自身が色濃く投影されているし、想像だが、登場する商社マンや農水官僚のキャラクターも、実在の人物をモデルにしているのだろう。<br />
　ノンフィクションではなく、近未来フィクションという小説だから、最終章の締めくくりで物語は終了する。しかしこれが、著者の想定している人物たちと語られているだろう現実の政治の場合はそうはいかない。終わりがないからだ。この意味で、今の日本が食料パニックに陥るまでの描写は、現実の状況がかなり反映され、惹きこまれるようなリアリティを感じたが……。<br />
　食料をめぐる情勢については丸紅経済研究所・柴田明夫『食料争奪』、平和ボケ日本に想定外の危機が突然訪れる状況については村上龍『半島を出でよ』が思い出され、読みやすい流れの小説だった。さて、この秋の政権はどうなっているだろうか？</p>]]>

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<title>『正社員が没落する―「貧困スパイラル」を止めろ！』</title>
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<modified>2009-06-07T16:39:10Z</modified>
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<summary type="text/plain">『正社員が没落する―「貧困スパイラル」を止めろ！』 　堤　未果／湯浅　誠　著（角...</summary>
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<dc:subject>970『正社員が没落する―「貧困スパイラル」を止めろ！』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>『正社員が没落する―「貧困スパイラル」を止めろ！』<br />
　堤　未果／湯浅　誠　著（角川ｏｎｅテーマ21）</p>

<p>評者　岡田哲郎 （ＮＰＯ支援センターちば）</p>]]>
<![CDATA[<p>湯浅氏は、派遣切りにあい派遣村にたどりついた人たちは、職もなく住居もなく就職活動さえままならず結果として低賃金・不安定就労から逃れられず「ＮＯと言えない労働者」であると言っています。こうした労働者が増えれば、安い労働者を使う企業ほど儲かり、労働者を大事にする企業は競争で敗れ去ることになり、悪貨が良貨を駆逐し労働市場が壊れ貧困が増え、労働環境も全体として地盤沈下していると指摘し、この悪循環を「貧困のスパイラル」と規定し、非正規労働者の下支えと雇用条件の地盤沈下によって中間層も過労死するほど働かざるをえない状況や貧困スレスレのラインでなんとか生活している人たちが生まれ、こうした人たちがいまや一億人に上るだろうと看過しています。<br />
一方、堤氏はアメリカにあってもいまや医師や教師といった社会的にも経済的にも安定していたはずのエリート層が次々に貧困層へと転落していると言っています。この問題の根っこにあるものは、すべてを競争原理に基づく市場経済にゆだねたシステムにあると指摘し、医療や教育といった生活の根幹に関わる部分が民営化され、競争にさらされることによって、効率化の名のもとにサービスの質が下がるとともに、競争になじまないものは切り捨てられ(たとえば、大学を卒業しても奨学金返済に追われ、支払いが追い付かない現状など)、競争に勝って極端に利益を上げている保険会社や金融機関など、一部の大企業によって牛耳られ、貧困に足を絡めとられて抜け出せない現状を報告しています。<br />
また、湯浅氏は「『貧困』とは、単に金銭的に貧しいことだけを意味するものではない。たとえ経済的に困窮しても、かつてならば家族や親戚、地域社会などが受け皿となって新たな職場を紹介してくれたり、家業を手伝いながら今後を考えることも可能だった。いまの『貧困』は、違う。所得が低いばかりではなく、頼れる人もおらず、そこから抜け出る足がかりさえもない、すなわち明日の見通しがまったく立たない状態なのである。それは単なる経済問題ではなく、この国を支えてきた土台が、砂のように崩れ始めている」とし、私たちの生活を重層的に守ってくれるはずのセーフティネットがほとんど機能せず、簡単に貧困に堕ちていくいまの日本社会の構造を「すべり台社会」とも指摘しています。<br />
さらに、失業や病気をしても、失業保険、健康保険や年金によって生活を維持できるのが「社会保険のセーフティネット」であり、それがかなわぬ時、生活保護を受けることで生活を維持する「公的扶助のセーフティネット」が準備されているが、日本ではそのどれもが十分に機能せず、結果として「まじめに働いてさえいれば、食べていける」社会が消失し、各種保険料が払えずに医療などが受けられなかったり、住居を持つことができない層が増え、最後の砦ともいうべき生活保護もそのマイナスイメージや、自治体の窓口で追い返すいわゆる「水際作戦」によって、実際に必要な人の一五～二〇％程度しか受けていないのが実態としています。 一度、足を踏み外したら個人ではどうしようもない巨大なシステムに飲み込まれ、一気に貧困に堕ちていってしまう「すべり台社会」の構造が指摘されています。<br />
このスパイラルを自覚せず、中間層は、貧困層がたくさんいるから自分たちの条件が悪くなると思い、はじかれたほうは、中間層のあいつらが取りすぎているから俺らに回ってこないと思い、「作られた対立」でいがみ合ってしまっています。気がつけば、貧困層がまた増えてしまいます。貧困の拡大をいま止めなければ、大多数の中間層は次々に貧困層へと堕ちて行きます。この事態を断ち切るために誰かが「ＮＯ」ということが必要だと言っています。<br />
堤氏は、「今、アメリカでは、消費者運動より不買運動が盛んです。(中略)今、不買運動は、『市場のデモクラシー』と呼ばれています」とし、労働市場デモクラシーの中で、一番大きいのが不買運動です。「貧困の人たちをどう救おう」ではなくて、「ＮＯ」と言える人たちのネットワークについてみんなで考えようと言っています。<br />
堤．湯浅両氏は、もはや市民、弁護士、メディアなど各界各層の誰も貧困を他人事では片付けられない段階に来ているとし、特定の政党やイデオロギーに縛られずに緩やかな組織で既成の法や枠組みをうまく活用して、柔軟に着実に戦い、できることから行動することだと言い、この著作の結論は、「貧困スパイラル」を止める！ためには、「市場にデモクラシーを取り戻せ！――『ＮＯ』と言える労働者へ」と呼びかけています。</p>]]>
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<title>『貧困のない世界を創る』</title>
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<modified>2009-05-03T10:38:47Z</modified>
<issued>2009-05-01T02:38:52Z</issued>
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<summary type="text/plain">ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義 　ムハマド・ユヌス著　（早川書房） 　 評...</summary>
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<dc:subject>971『貧困のない世界を創る』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義<br />
　ムハマド・ユヌス著　（早川書房）<br />
　<br />
評者　山本 伸司 （ＢＭ技術協会常任理事・パルシステム生活協同組合連合会）</p>]]>
<![CDATA[<p>アメリカ発の金融崩壊は各国に波及し、更に実体経済の崩壊へと連鎖している。その中で、数十兆円も溜め込んだ自動車産業や電気メーカーなどの「日本」企業が、自社の存続と利益のみを追求し、労働者も地域社会も知ったことかとばかりに切り捨てている。これを見て、巨大企業を育成しその力をもってシャワー効果で人々と地域社会を潤すことは、すべて幻想だったことが誰の目にも明らかとなった。何が「社会や人のニーズを満たす」だ、「会社は公器」だとちゃんちゃらおかしくなる。地方都市や農村地帯で、こうした大企業の横暴の波に洗われ、荒んだ風景が広がっている。<br />
さて、ここからが問題だ。ではどうするか。<br />
先ずは、基本を押さえたい。私たちＢＭ技術協会では、農を核とした「バクテリアと土と水」をキーワードに生命と大地の循環を基本とする社会構築を目指している。この技術を活用する人と、組織と、社会を構築すること。このことを実際に各地でやりながら、つながり持続可能な未来を展望するとしている。<br />
この運動と世界経済との関係を考えてみるとき、単純な大企業批判や国家批判、アメリカ帝国の陰謀説だけで事足りるとは思っていない。これを生み出し支えている現実と社会とを変えることが求められている。<br />
こういう視点で考えると、このムハマド・ユヌス氏のマイクロクレジットから始まる活動は非常に示唆に富んでいる。以下、本書から引用する。<br />
 「世界の総所得の九四％は四〇％の人々にしか行きわたらず、残る六〇％の人々は、世界の総所得のわずか六％で生活しなければならない。およそ十億人が、一日あたり一ドル未満で生活しているのだ。……理由は簡単である。現在の自由市場は、社会問題を解決するためにあるのではないからだ。むしろ実際には、貧困、病気、汚染、不正、犯罪、そして不平等を悪化させている」。<br />
ここからが、重要だ。<br />
「資本主義は人間の本質について狭い見方を取り入れている。つまり、人間が最大の利益を追求することだけに関心がある一次元的な存在であると想定しているのだ。……主流の自由市場主義理論では、ただ自分のためだけに大部分を得ることに集中するなら、人は可能な限りよい方法で社会と世界に貢献すると仮定している。この理論の信奉者は……世界のすべての悪いものを『市場の失敗』のせいにするのである。『概念化の失敗』に苦しんでいる。つまり、人間の本質をとらえることの失敗である」。<br />
「人間は、決して一次元的な存在ではない。わくわくさせられるような多次元的な存在だ。人間の感情、信条、優先順位、行動パターンは、光の三原色から何百万もの色合いを作り出すことができることにたとえるのがふさわしい」。<br />
協同組合運動についてもユヌス氏は言及している。ロバート・オーウェンを紹介しつつ以下のように指摘している。<br />
「本来、貧しい人々を援助し、あるいはその他の特定の社会的な利益を生み出すという目的のためには、協同組合という概念は向いていない。もし、利己的な支配に陥れば、協同組合事業は、社会のすべての人を助けるよりも、個人やグループの利益を得る目的のために、むしろ経済を制御する手段になる。協同組合が本来の社会的目標を見失うとき、それは他と同じように実際には利益を最大にしてしまう会社になってしまうのだ」。<br />
未来に向けた現実的ステップの提案<br />
貧困から脱却するための具体策として、ユヌスは、「ソーシャル・アクション・プラン」として、身近な問題を実現する小さな組織をつくることを提案する。三人くらいで一人の失業者、ホームレス、物乞いの人が収入を得る活動を見つけ、貧困から抜け出すのを助けること。これを始めるのに、特別の専門的技術、信任状、資産も必要としない。必要なのは、違いを生み出す意欲と行動だけであるという。<br />
バングラデシュの変革<br />
バングラデシュでは、八〇％の貧しい人々にマイクロクレジットが行き届いている。物乞いの人のプログラムには八万五千人が参加し、すでに五千人が物乞いをやめている。貧しい人たちにＩＣＴをもたらすグラミン・フォンを設立、テレフォンレディはすべての村で三〇万人が活動している。ヨーグルト工場を設立し、栄養失調の子どもたちへ届ける。眼科病院のチェーンを展開し豊かな人々と貧しい人々に別の料金で一年間当たり一万件の白内障の手術をする。<br />
夢のリスト<br />
個々の市民が、はっきりとした考えを持っていることが重要になってくるとして、創りたい世界の基本的な特徴について『私』のリストが提案されている。これは、まさに夢の世界のように見える。しかし、必ず達成可能だと彼は提起しているのだ。</p>

<p>インドはガンジーを生み出した。ガンジーの偉大さは、政治や社会の変革を、人びとのこころとからだの改革として平和と自立を希求したことだと思う。絶対的な権力と暴力を前に、不服従という内なる闘いと祈りを広げた。それは、人間性のあり方を問いかけるものとなってゆく。<br />
インドから独立したパキスタン。さらにそこから独立したバングラデシュ。ここに、モハマド・ユヌスが誕生した。<br />
人びとの無限の可能性を信じ実現する。七百万人もが自立していく。しかも、貧しさと富の頂点をつないでみせる。ビル・ゲイツも救われる。<br />
世界の矛盾を、自らのうちに取り込んで引き受ける。そして、貧しい人びとと共に行動し変革を実現していく。<br />
彼には、もうハッキリと見えている。貧困の解決が。来るべき世界が。アジアは偉大な精神を生み出していく。とりわけインドやバングラデシュの地域において。これは、矛盾の極北にあるからかも知れないと思う。</p>]]>
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<title>「日本の食と農」～危機の本質</title>
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<modified>2009-03-29T07:02:49Z</modified>
<issued>2009-03-29T06:20:37Z</issued>
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<created>2009-03-29T06:20:37Z</created>
<summary type="text/plain">神門善久　著（ＮＴＴ出版） 評者　らでぃっしゅぼーや〓　竹内　周...</summary>
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<dc:subject>972『日本の食と農』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>神門善久　著（ＮＴＴ出版）<br />
評者　らでぃっしゅぼーや㈱　竹内　周</p>]]>
<![CDATA[<p>　農業経済学者の氏は、日本の食と農というテーマで、まずその『危機の本質』を『エゴ』という言葉を使って、何者にも与せず、等しく明らかにしていく。消費者エゴ、地権者エゴ、農業者エゴなどそれぞれの『エゴ』が、どんな脈絡で『危機』を生み出したのかを、戦後から現在に至る緻密な調査よって説明してくれる。</p>

<p>　例えば農地を巡っては、農地法を軸にして、農業委員会、地方自治体、農水省へと連なる行政の枠組みによって管理されているが、その運用や解釈は年を経て変化していった。その結果として、基盤整備され水利の整った『優良農地』さえもが耕作放棄され拡大しているという指摘は、生産性が低い中山間地集落で高齢化によって進む耕作放棄という、国民一般が抱きやすいイメージとかけ離れていて驚く。<br />
　そしてそのように変えていった主体に、実は農業に期待される本来の役割とはまったく別の、土地を巡る利権などの動機、すなわち『地権者エゴ』が存在していたことが明らかにされていく。<br />
　また、もともと食料統制・配給の受け皿として戦前の全国農業会を母体に発足したＪＡグループが役割を変質させていった。五五年体制に至る政権党の集票組織として機能することで体制を磐石にして、その後肥大化が進んだ過程で必要以上に零細農家を保護したり、農産物の市場開放を拒むといった『農業者エゴ』がまかり通ってきた結果、本来十分に戦える能力を備えているはずの日本の農業の国際競争力も失われていったという。</p>

<p>　他方、食については『消費者エゴ』という。その原因を消費化社会という世界の趨勢からではなく、市民の行政不参加という日本特有の状況から論じる。<br />
　安心、安全、食育、トレーサビリティー、グリーンツーリズム等などの文言が、いかに不毛に話題化され、繰り返されてきたか。問題が発生すればただ文句を言えばいい、という消費者の身勝手、マスコミの無節操。これらがかえって行政の肥大化を底支えし、農業者エゴ、地権者エゴの温床とも化していったという巡り合わせに帰結し、こうしたもろもろが氏の発するところの『お任せ民主主義』や『ポピュリズム』というキーワードに集約され、生産消費もろとも、日本の食と農を現在の危機的な状況に至らしめた……。</p>

<p>　氏はその上で「公明正大で公平なルールのもと最大限の自由を担保すべき」として、グローバル化が進む世界の流れに適応し、その上で日本の食と農は守られると論ずる。時勢に乗じた売らんかな本ではなく、体制やマスコミへの色気なぞ微塵もない。時折語られる体験談――幼少期の保守的な農村での暮らし、自給自足的な農を志すコミュニティへの参加、黎明期の提携運動での経験など――も真摯さを増幅する。別の本で氏が「おそらく僕は、ストックに由来する不労所得を嫌うということにかんして、徹底しています」と語っているのだが、本の終盤では国籍という見えない既得権にも触れ、ルールを厳格化したうえで、あくまでも開かれた日本の農業を展望していく。<br />
　農地は本来誰のものなのか。あくまでも私たちは、学んだ上で、さらにどのような道を選択するかについて、考え続けなければならないと思われた。</p>]]>
</content>
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<title>『反貧困』~「すべり台社会」からの脱出</title>
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<modified>2009-04-07T13:41:47Z</modified>
<issued>2009-03-01T11:17:07Z</issued>
<id>tag:www.bm-sola.com,2009:/book/7.1689</id>
<created>2009-03-01T11:17:07Z</created>
<summary type="text/plain">湯浅 誠　著（岩波新書） 評者　山本 伸司（ＢＭ技術協会常任理事・パルシステム生...</summary>
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<email>mt_master@bm-sola.com</email>
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<dc:subject>973『反貧困』</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bm-sola.com/book/">
<![CDATA[<p>湯浅 誠　著（岩波新書）<br />
評者　山本 伸司（ＢＭ技術協会常任理事・パルシステム生活協同組合連合会）</p>]]>
<![CDATA[<p>　これは、重たいテーマだ。しかし、こういう本が売れているということが凄い。最初に紹介される夫婦の暮らしの現実。気持ちがなえるが読み進めていく。そして、読み込んでいくと次第にこの著者の湯浅さんという人の凄さがヒシヒシと伝わってくる。特に、大上段に社会改革を語っているわけではない。ところが、具体的な事例をあげ、順々に説いていくにつれて、企業、行政と社会の問題が次第に暴かれていく。この国の劣化が目に見えてきだす。<br />
見えない貧困<br />
　貧困とは何か。見えない貧困がある。あるビル清掃人のこと、しゃがんで掃除している彼らの頭の上を、そのビルのエリートたちが会話を途切れさせずにまたいでいく映画のシーンが紹介されている。つまり、競争社会にいる企業戦士たちには見えない、見ようとしない人々がいるということだ。これにはドキッとする。<br />
　貧困とセーフティネットの関係が問題となる。これは、雇用のネットと社会保険のネットと公的扶助のネットという三層構造があるという。雇用では、大きく正規から非正規へとシフトしさらに派遣労働によって無権利状態が拡大している。地方の商店街もシャッター通り化し、農業では米価も暴落して苦境に陥る。二〇〇六年には年収二〇〇万円以下が一〇二二万人にものぼっている。<br />
　社会保険制度も、失業保険給付が一九八二年には約六割が受け取っていたが、二〇〇六年には二一・六％に激減している。失業保険の受給資格すら取れないのだ。国民健康保険もこの年で四八〇万世帯が滞納をしている。国民年金に至っては納付率が五割を切っている。<br />
　公的扶助はさらに深刻だ。自治体窓口で「水際作戦」が行われ生活困窮者が実質的に受給から排除されている。おそらく潜在対象者は一〇〇〇万人と推計されている。<br />
　こうして、三層すべてに穴があき、上層の労働排除によって一気に滑り落ちる「すべり台」社会となっていると指摘する。アメリカの格差社会はヒドイと考えていたが、日本はもっと陰湿で、隠れた巨大な貧困層が形成されていたことがわかった。確かに、町にはそこここでホームレスが増大している。<br />
貧困を拡大する政府<br />
　アメリカ政府は貧困層を人口比一二・六％、三六九五万人いる（二〇〇五年時点）と報告し、ドイツ連邦政府統計庁も一三％に当たる一〇三〇万人いると報告している。ところが、日本政府には貧困指標がなく統計も出されていないという。貧困層の実態が把握されていない。<br />
　憲法二五条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は、単なるお題目ではないとし、この具体化として生活保護法があり、これに従って厚生労働大臣告示で毎年生活保護基準が改訂されている。実は、世帯ごとに、一〇円単位まで最低生活費が決められている。これと、最低賃金法があり、政府は共に連動して引き下げようとしてきている。このこととの戦いを通してこの国のあり方、すなわち誰の利益のために動いているかが明らかにされている。<br />
　ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センの貧困の定義が引用されている。<br />
　「貧困は単に所得の低さというよりも、基本的な潜在能力が奪われた状態と見られなければならない」「潜在能力の欠如は、世界におけるもっとも裕福な国々においても驚くほど広く見られる」「ニューヨーク市のハーレム地区の人が四〇歳以上まで生きる可能性は、バングラディッシュの男性よりも低い」<br />
　このことは、単純比較で所得が高いだけでは望ましい状態を得られるとは限らない。望ましい生活状態（機能）に近づくための自由度（潜在能力）を上げていくことが大切だとしているのだ。先進国にこそ深刻な貧困が拡大していることが暴露されている。<br />
　著者は、さらに「溜め」という言葉で、人とのつながりなどを表現している。社会が溜めを失い、貧困が拡大していくと「社会の免疫力」が失われ、とりわけ戦争への免疫力がなくなるという。貧困層を軍隊として組織していくのだ。<br />
ＮＰＯ法人自立生活サポートセンター<br />
「もやい」の戦い<br />
　「もやい」の活動は住所不定状態の人たちに対する連帯保証提供と生活相談が二本柱だ。まずは居場所の確保、自信を持つ、受け入れられる場、技能を活用できる、自分が尊重されるなどの当事者のエンパワーメントと生活相談、多重債務、緊急対策、精神的ケア、生活保護申請などの社会資源の充実が大切だという。<br />
　その活動を通して反貧困のネットワークを広げている。最大の敵は「無関心」だ。貧困問題に関心を寄せてもらいたいと結んでいる。<br />
生協のあり方と貧困<br />
　大不況が襲ってきた。すると、やはり供給が落ち込み始める。このとき、低価格だという生協がある。所得が減るから低価格こそが生活応援というのだ。ところが、これがクセモノだ。低価格では、生産に携わる全ての人たちがコストカットされていく。自分の給料が維持され、商品価格が下がればリッチになるが、そうはいかない。だから、豊かさとは、所得の多さだけではない。「溜め」の問題だということにこの本によって気づかされる。生産現場を想起し、とりわけ農業現場や食品メーカーとつながること、このことが食を豊かにしていくことでもある。<br />
　一九九〇年代から企業は、社会を豊かにするチカラを失った。企業の成長は、むしろ人々を貧困に突き落としていく。コストカットと効率主義は、ますます貧困を生み出していく。<br />
生協の本来の目的、すべての人々の暮らしに貢献すること。協同組合の精神を思い起こし貧困と戦うネットワークに連携していきたい。</p>]]>
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<title>『本質を見抜く力』～環境・食料・エネルギー～</title>
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<modified>2009-02-08T05:52:19Z</modified>
<issued>2009-02-01T05:50:32Z</issued>
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<created>2009-02-01T05:50:32Z</created>
<summary type="text/plain">養老孟司・竹村公太郎　著（ＰＨＰ新書） 評者　　Ｒａｄｉｘの会　竹内　周...</summary>
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<email>mt_master@bm-sola.com</email>
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<dc:subject>974『本質を見抜く力』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>養老孟司・竹村公太郎　著（ＰＨＰ新書）</p>

<p>評者　　Ｒａｄｉｘの会　竹内　周</p>]]>
<![CDATA[<p>　対談集だ。養老氏の前書きには「自分が生きてきた時代、様々なイデオロギーに翻弄された」とある。その上で氏は五感を重視するか、概念を重視するか、の違いを指摘した上、五感すなわち知覚できる実感や事実、「ヒトから見たモノ、それで社会を論じたい」という。オビには「日本の将来を本気で考える」とあるから、どうしても「ご高説賜ります！」と読む前に力が入る。<br />
　しかし構成が対話形式ゆえか、日本語特有の話法も手伝い否定肯定が不分明で、二人の立場の違いもわかりにくい。対話の流れは速く、もうちょっと知りたいと思っても、話は強制的に先に行ってしまう。総じて何となく飲み屋で放談中の知的オヤジにお付き合いさせられているような‥‥。<br />
　だからお酌でもするつもりで、あえてゆっくり読む。二人の知見を味読するのがいい。前書きには「モノという現実」から日本を見ようとする最初の試み、ともあって、今回はその最初のゲストとして竹村氏が招かれて話をした、と捉えてから読むことを勧めたい。そう読むと、ゲストが養老さんに何を理解して欲しいかがわかるのだ。<br />
　今回のゲスト竹村氏は、東北大工学部土木工学科修士課程卒で元国土交通省河川局長。前に『ＡＱＵＡ』の水に関する書評で触れた、世界水フォーラムの事務局長でもある。主張に通底しているのは国土の開発という立脚点か。<br />
　竹村氏は、マスコミの煽りなども含めた通説や俗説を表面的な情報として、教えられた歴史の解釈も一旦は排す。その上で、日本国ではなく、日本列島という「モノ」としての資源や状況、実力、事実を「解剖」し、その本質を整理する。<br />
　基層もしくは下部構造のことをインフラと呼ぶが、食料やエネルギーを語る場合のインフラとしての「国土」を量的質的に論じようとする観点には、養老さんの「モノの見方」との共振性が感じられる。<br />
　が、国が国土をどのようにイジったかについての実践編となると疑問符もつく。百年前と今では日本列島の緑が濃いと国家事業を称えても広葉樹林の激減に触れなかったり、官僚という方々には、持論と国論の両立という隘路が見え隠れする。どうしてもマクロな整合性を求めてしまうように思えた。<br />
養老氏は言及しないが（例えば植林の成果について）、昆虫の生態系は百年では回復しないなど、あくまで自分の五感で情報を評価する態度を崩さない。<br />
　さて、全体感としては、地球温暖化対策も、エネルギー問題も、食料も、世の対応や解釈、歴史認識に対して批判的な立場で話が進む。<br />
戦争は石油争奪が主因、主義主張の違いは表層で、資源のない日本という前提でのエネルギー利用に活路がある。温暖化はデメリットだけではない、日本列島が南北に長いメリットが生きる。日本は小さいことに価値を見出してきた。少子化も、大きくなるよりはるかにマシだ。日本は水の国。水資源は足りているというモノサシで利用を組み立て直す。カロリーベースの自給率はまやかし、米も野菜もなんとかなる、問題は動物タンパクとしての水産資源だ‥‥ｅｔｃ。<br />
　そんななか、農業について論じた農業経済学の神門善久氏を交えての鼎談は異色だ。氏は、日本農業の可能性はとても大きいとしながら現状を憂い、「公明正大で公平なルールのもと最大限の自由を担保すべき」と論じる。その中心に農地、雇用、加えて日本の民主主義の問題を据えて、無秩序化が進んでいる今の農政を正面から糾弾する。<br />
　鼎談ではその体系化された中身の入り口を垣間見るが、ぜひ氏の著書『日本の食と農』で、その本質を読み解いてほしい。<br />
　今後このシリーズが続いて、養老さんの「ヒトから見たモノ、それで社会を論じたい」という「モノの見方」が、多方面の事実と結びつき体系化されていくことを期待したい。</p>]]>
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<title>『暴走する資本主義』</title>
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<modified>2009-04-07T13:42:16Z</modified>
<issued>2009-01-01T01:30:14Z</issued>
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<summary type="text/plain">『暴走する資本主義』ロバート・Ｂ・ライシュ著　東洋経済新報社刊 評者　高瀬幸途（...</summary>
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<dc:subject>975『暴走する資本主義』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>『暴走する資本主義』ロバート・Ｂ・ライシュ著　東洋経済新報社刊</p>

<p>評者　高瀬幸途（太田出版）</p>]]>
<![CDATA[<p>　誰でもなさっていることでしょうが、一冊の本を読んで評価するには、関係する（と思われる）書籍群と引き比べながらあれこれ推測を試みてみます。不案内な領域に関わる本であれば、勉強の実をあげるためにも必須のことでしょうが、読書の楽しみの一つは、その推測の羽を広げることにあるのではないでしょうか。<br />
　七〇年代初頭までのアメリカ社会は、資本主義と民主主義（福祉国家）が調和していたが、大企業が多国籍化し世界市場での企業間競争が激化するにつれてその調和が崩れ、レーガン政権と冷戦の終わり以降、資本主義が民主主義を追いやって社会的劣化が進んできた、その傾向が今や危機的状況を迎えている、そういう内容の本書を読んでいて、私が連想した本は次のようなものです。<br />
・『人々はなぜグローバリズムの本質を見誤るのか』水野和夫著<br />
・『吉本隆明の時代』糸圭秀実著<br />
・『恐慌論』宇野弘蔵著<br />
　クリントン政権の労働長官であったライシュ（カリフォルニア大学教授）は、オバマ政権でも政策的関与をすると言われていますが、彼がアメリカ社会に見いだしたものを、日本経済に即して分析したものが水野さんの本です。日本の企業（とそこに属する労働者）の五パーセントがグローバリズムの勝ち組として生き残り、八割は負け組として沈滞衰亡の道を歩む、という明解な結論は小さくない反響を呼び起こしました。ライシュの場合、民主主義をかえりみない大企業の行動（社長のボーナスが数百億円！）はより安価な商品を求める消費者と高配当を求める投資家（年金をもらう人や株を買う労働者を含む）に支えられてある、という指摘をします。一方の水野さんは、福祉国家が崩れ民主主義が衰退するのは先進国共通の運命であって、それがポストモダン状況に他ならないことになります。世界経済の重心は、これからモダンをめざすインドや中国などの新興国群に移行するのであって、一六世紀以来続いてきた世界史と世界経済の地勢図が書き換えられる、という展望に帰結します。ライシュが構想する資本主義と民主主義の新たな均衡は見果てぬ夢ではないか、と水野さんは判定するのではないか。したがって、オバマ政権はアメリカの苦境を救えない、ともいえるのでは、という勝手な推測をするのが、素人の読書の快楽でありましょう。<br />
　この本の原題は「Supercapitalism」です。「暴走する」という訳語を採用したのは理由があるのでしょうが、そもそも資本主義は暴走するものではないでしょうか？　原題を素直に訳せば「超資本主義」ですが、この言葉は八〇年代に吉本隆明が多用したものでしょう。その含意は高度資本主義の成立の中で貧困と階級対立が消え、消費の自由こそが最高の規範になったというもので、もちろんハイパー（超）資本主義を礼賛しています。六〇年安保闘争で「革命的思想家」としての声価を確立した吉本が、どんな経路で単なるリバタリアンになってしまったのか、糸圭さんは前記の本で詳細に跡づけています。<br />
　宇野弘蔵の恐慌論は半世紀以上前の著作ですが、その真価が長く忘却の中に置かれてきたものです。単なる景気循環ではない恐慌が資本主義には不可避であることを解明した画期的な研究ですが、現下の金融恐慌の進展の中で真剣に参照されるべきではないでしょうか。宇野原理論からすれば、ライシュのいう「資本主義の暴走」なる認識は児戯に等しいものでしょうし、吉本の認識も幻想領域の相対的自立性に依拠する文学主義ということになるのでしょう。<br />
　一介の編集者がこんな生意気かつ思いつきの読後感をいだけるのも、参照できる著作の執筆者たちのお陰であり、学問文化の恩恵ではあるとして、さて明日からの仕事は不景気の影響を受けないですむのかどうか、農業の未来はどうなるのか、という問題は厳然としてありますが、「使い捨て時代を考える会」の槌田劭さんのひそみにならっていうと、この国では消費の過剰と生産の過剰、さらに資本の過剰という大問題に直面していること、その視点から始めることが必須であるように感じられますが、いかがでしょうか。</p>]]>
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<title>『世界金融経済の支配者』</title>
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<modified>2008-12-04T05:12:44Z</modified>
<issued>2008-12-01T05:11:38Z</issued>
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<summary type="text/plain">世界を支配し、動かしている「勝ち組」は誰か、そして、「負け組」の実態は 「世界金...</summary>
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<dc:subject>976『世界金融経済の支配者』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>世界を支配し、動かしている「勝ち組」は誰か、そして、「負け組」の実態は</p>

<p>「世界金融経済の支配者」   	東谷　曉　著（祥伝社新書）<br />
「世界を動かす人脈」　　　中田安彦  著（講談社現代新書）<br />
「ルポ貧困大国アメリカ」　堤　未果  著（岩波新書）</p>

<p>評者　岡田哲郎（ＮＰＯ支援センターちば）</p>]]>
<![CDATA[<p>　「市場原理主義」、「金融(カジノ)資本主義」は、世界中に格差社会を作り出し、極少数の巨万の富を持つ「勝ち組」と圧倒的多数の「負け組」を生み出している。その構造を作り出す社会の仕組みを以下の書籍を通して探って見る。<br />
　【世界金融経済の支配者／東谷　曉】では、世界金融経済の「支配者」は誰か？を陰謀説で無く、あらゆる資産が「証券化(セキュリタイゼーション)」され、企業が市場から資金調達を行ったり、サブプライムローンなど住宅ローンや債務・不良債権までも証券化され、「資産がリアルな世界から切り離され」、ファンドマネーやＭ＆Ａなど金融が経済を支配している世界のカラクリを多様なセクターや要因から分析している。<br />
　「証券化」がキーワードの金融経済にあっては、いかにコンピュータが発達し金融工学が精緻な計算したとしても情報の恩恵に預かれない人々をリスクの高い投機に駆り立て損失を負わせ、儲けの大部分は金融関係者で山分けするシステムであり、著者は証券化した金融経済は、結果として「カジノ」であり、分かりやすくイメージすると胴元が存在しなくなった「賭博場」と同じであるとしている。<br />
　【世界を動かす人脈／中田安彦】で著者は、八十年代以降、金融資本が国境を越えて駆け巡り、石油などエネルギー資源を持つ中近東、ロシア、中国などの新興国グループの一握りの人々に富が集中し、世界的な資産家たちも加わる新たに金持ちのネットワークが形成され、「分配」における格差が世界的に拡大した「勝ち組」の形成を明らかにしている。<br />
　その人々を「グローバル・エリート」と言い、世界の政治・経済・金融に大きな影響を与え、まさに世界を動かしている人々で、「富と権力」及び「ネットワーク力(人脈力)」で、多国籍資本の企業活動を牛耳り、政治家や国家指導者と連絡が取れる人々と規定している。<br />
　また、二〇〇一年以降中国・インドの台頭や中東に生まれた「独自の経済圏」の出現で多元的で「フラットな社会」が生まれる可能性を示唆しつつも、グローバル経済の行方は二〇二〇年くらいまでに混乱の二一世紀半ばを迎えるのか、グローバルな「世界単一市場」の進展を迎えるのか、いずれにせよその鍵を握っているのがこのキーパーソンたちとしている。<br />
　一方、【ルポ貧困大国アメリカ／堤　未果】は、アメリカで現在進行している現象を通し、「負け組」の人々の残酷な生活をルポしている。メキシコからの移民家族が「サブプライムローン」の支払い延滞で「家」を失うなど、働いてもローンの残高が減らず差し押さえられ最底辺に転落してしまう人たちの悲劇が次々と登場する。その主たる原因を「民営化」にあると、著者は分析している。<br />
　災害対策が民営化され堤防補修ができず大型ハリケーンの災害が起こり、病院が株式会社化され高い医療費が払えず病気も治せない、トラック運転手が稼ぎがよい仕事に転職し派遣されたのがイラクで軍事物資を運ぶ仕事であり、軍事訓練を受けた「傭兵」ではなく、あくまで「派遣社員」としてイラクに送られる。<br />
　学校では、勉強やスポーツができる貧しい青年をリクルートし、軍に入れば奨学金、医療保険や帰国後は永住権がもらえるなど、経済的な徴兵まがいが行われている。金持ちを除き大多数のアメリカ人がおかれている悲惨な状況であり、このルポは日本の近未来を予感させる。<br />
　折しも、協同組合に関る者として、賀川豊彦献身一〇〇周年(二〇〇九年)を迎えるに当たり、弱肉強食を奨励し、セーフティネットを破壊し、社会の二極分化を推進し、多数の人々の生存権を脅かす「市場原理主義」、「カジノ資本主義」から決別し、分配の公正を重視し、「レンタルな生活思想」を想い、全ての国民が幸福な生活が営める社会を想起している。</p>]]>
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<title>『建築がみる夢』</title>
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<modified>2008-11-09T11:03:35Z</modified>
<issued>2008-11-01T08:09:01Z</issued>
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<summary type="text/plain">『建築がみる夢』（講談社） 『笑う住宅』   （ちくま文庫） 石山修武 著  評...</summary>
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<email>mt_master@bm-sola.com</email>
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<dc:subject>977『建築がみる夢』</dc:subject>
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<![CDATA[<p>『建築がみる夢』（講談社）<br />
『笑う住宅』   （ちくま文庫）<br />
石山修武 著 </p>

<p>評者　高瀬 幸途 （太田出版）</p>]]>
<![CDATA[<p>　この夏の終わりに、世界遺産の五箇山を見学する機会があった。合掌作りの茅葺き屋根は見覚えがあったけれど、ガイドの説明を聞いて驚くことが少なくなかった。一番驚いたのは、あの大きな合掌作りは住居であるとともに工場であり、江戸中期頃に誕生した建築物だということ。伝統的村落の一奇観というべき五箇山が、養蚕と紙漉という家内事業（経済）の産物であり、国内商品流通に先導されたものだったとは。しかも、大家族ではなく、三世代同居の家屋なのであって、米作りの集落ではなかったが故の発明品だとは。<br />
　百聞は一見に如かず。「伝統」とか「遺産」の背後でことを定めている経済（建築）の合理性への注視を常に忘れないこと！<br />
　山梨県白州町横手周辺では新築の民家を見ると、××ホームなどによるプレハブ住宅と地元の大工による瓦葺き切妻式家屋が混在しているが、都会ではプレハブ住宅が圧倒的だ。二〇年前から、このプレハブを「ショートケーキ感覚」だといって批判し、「秋葉原感覚で住宅を作ろう」と提言実行してきた建築家が石山さんだ。<br />
　建築家とはほとんど付き合いがないし、建築についての素養もない私が石山さんの著作を推薦するのはおこがましいが、これは見果てぬ夢のようなものだけれど、白州町横手に小屋を建ててみたいと思っていて、さてどんな小屋にしたいかとあれこれ探っていてぶつかったのが、日本建築界を代表する鬼才と呼ばれるこの人なのだ。石山さんの著作を何冊も読んで驚嘆することの連続で、ついには早大理工学部の研究室（石山さんは教授もやっている）を訪ねることになり、ついでといっては失礼だが、季刊『ａｔ』への原稿執筆もお願いしてしまった。（その原稿が『ａｔ』一三号に載っている）。<br />
　光栄なことに、初対面の私を「押し込み強盗」だと呼んでくれたのだが、お話を聞いてますます引き込まれてしまった。「工業化社会の余剰な生産力の典型としての様々な工業化製品を住宅用品として転用しながら、工業化時代の小屋づくりをめざす」ロビン・フッドの建築家だと二〇数年前に書いた石山さんは、この夏、「全ての都市の建築、都市住宅の屋根に畑を作った方がいい。少なくともそれを目指すべきだ。全ての建築はエネルギー供給体になり得るし、又同時に食物を作る場にもなり得る。都市は消費の自動装置である現実を脱け出る必要がある」と宣言し、建築中の自宅を世田谷村と自称して野菜を作っている。そんな強烈な建築家が目下日本各地で展開しているのが、農村ネットワーク計画なのだ。その概要は『建築がみる夢』で紹介されているが、ウェブサイト上にある石山修武研究室にはより詳しい報告があるので、是非お訪ねになってほしい。ついでに、現在進行中の一二の建築設計プロジェクトの奇想天外かつ未来を切り開く展望をご覧になっていただきたい。<br />
　端的にいって、石山さんの設計する小住宅は安いのだ。徹底的に住民の立場から経済合理性を貫く。資本主義の成果を利用・転用しまくれ、といって、実行してしまう凄い建築家なのだ。拍手。<br />
　とはいえ、施主から石を投げつけられたことがある建築家という噂を聞くと、横手の私の小屋の設計をいつ頼みにいくのか、一日延ばしのためらいの中にいる私なのですが。</p>]]>
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