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2005年11月10日
■生態的な持続性を無視する先進国の漁獲政策で激減する魚資源
■生態的な持続性を無視する先進国の漁獲政策で激減する魚資源
この半世紀間で世界年間漁獲量は千八百万トンから九千五百万トンに上昇
私達のほとんどは魚を食べることが好きである。だが、誰も魚を大事に扱おうとはしていない。人は、カワウソ、シール、ゾウ、サイ、狐の保護には声をあげ、その保護には強力な政治的な支持もある、だが、人類は魚にはひどい仕打ちをしても誰もかまはないようである。
世界の海洋は収奪され続けているが、誰もその乱獲を気にしていないようで、それをやめる気も、力もないようである。一部の魚と甲殻類は首尾よく養殖されているようである。例えば、マスとカキはその一部である。ニシン、イワシ、シラス、ムール貝等の様な魚資源は、持続できるようである。しかし、多くの他の種類は、マグロ、カレイ、アンコウ、タラを含んで、絶望的な苦境にある。この半世紀の間で、世界の年間漁獲量は、1800万トンから9500万トンに上昇した。
国連食糧農業機関からの最新の数字は以下の事を示している:商業用魚類の52パーセントはぎりぎりに収奪されていて、その17パーセントは過剰収奪されていて、その8パーセントは消滅している。鳥インフルエンザで世界を席巻しているパニックとまではいかなくてもその警鐘の波と対比すれば、魚類のひどい状態への私達の無関心は異常である。人は、店に魚の切り身がある限りそれを買う。だがその品種が消滅する時は、人は肩をすぼめて、何か他のものを食べるだけである。
最近出版された2冊の重要な本が世界の漁業の危機を詳述している。1998年出版のマイケル・ウィガン著「最後の狩猟と採集人」、および昨年出版のチャールズ・クローバー著「行き詰まり」、である。両著とも、同じ怖い状況を話しているけれども、どちらも有益な政治的な反応を引き起こしてはいない。ウィガンは、神が恐れられていた時代のスコットランドの俚諺を引用している。もしニシンがある場所を見捨てれば、それは「人々の邪悪さ」のためだ、と、漁師が言う。
古老達の言ってきた事は、やや違った意図だが、正しい事が判明してきている。著者のクローバーは我々の想像力にこう訴えている:もし鉄棒に付けられた幅1マイルの網がアフリカの平原を横切って引きずられて、その途中のあらゆるものを掬い取り、破壊し、ライオン、チータ、サイ、ゾウ、インパラ、イボイノシシ、を絡め取ってしまえば、世界の人々はなんと言うだろか。彼は、これこそ世界の海洋で毎日今日のトロール船が行っている事だと、言っている。
世界総漁獲量のうちの三分の一は、商業的に価値がないものとして、投棄―死骸で―されている。捕獲網は岩礁や海生植物を平らにしてしまう。捕獲量への規制法はお決まりで無視されている。産業規模の網引捕獲船は、どのような新しく発見される魚コミュニティでも10年以内でその捕獲規模を十分の一に減らすと見積もられている。次第に大型化する漁船は、さらに怪物的に「効率的な」機器を備えて、縮小していく漁場を襲って行く。アイルランドの新しいスーパートロール船、アトランチック・ドーン、はこれまで建造された最大の船で、アイルランド国の漁業能力の三分の一を占めている。
北スコットランドの沖合いでは、鳥と魚もひどい目に合っている。それは彼らが食べる砂ウナギが底引大型漁船の捕獲で、全滅に近い状態になっているからである。狂るった事だが、ほとんどの政府は社会的な理由でこの根こそぎ捕獲を支援している。日本は、年間の補助金受領仲間では先頭で、14億4000万ユーロを受けていて、次がEUで6億4千4百万ユーロ、そして米国が6億千7百万ユーロ、で続いている。個々のEU国家では、スペイン、フランス、アイルランド、イタリアが順を追って補助金を受けている。
チャールズ・クローバーはこう書いている:「海は、海が生み出すものを100パーセント捕獲する商業漁業を進めるべきだとする狂信者達によって、実際取り仕切られている。これは滅びて行く慣行をうみだしている。二つの誤った信条が行き渡っている。一つは、生物学を騙すことができるという考えである。二つ目は、アイルランド、スコットランド、スペインの西域にある遠隔のコミュニティの漁民を勝手に漁をさせて問題がなく幸せにしておくことができるという誤解である。実情は急速な工業技術の漁業への応用で、今年は村の6人しか持続可能性を保つ漁には要らないのである。そして来年は4人になるだろう」
国の政府が公害や貿易だけで固有に我侭に振舞っていると考える人は、漁業の歴史もみるべきである。どの国の大臣も自国の少数だがロマンチックであるという事になっている漁師と争いたくはないのである。漁業界は大騒ぎを起こすし、大衆は魚類の状況にはお構いなしである。度が過ぎた行為は他国だけがやっているという抜きがたい信条がある。すなわち、日本とスペインである。だが実際は、咎めなくてよい国はないのである。すべての漁師は、上昇する経費と減少していく漁業資源の最中でなんとか生き延びようとしている。
漁場の監視体制は多くの場所で極めて不十分で、誰も多くの逸話で証明されている逸脱行為を効果的には監視していない。魚類回復の控えめな物語の1つに、大西洋における鮭の報告がある。それはアイスランド人のオリ・ビグフーソンがほとんど単独で達成したものである。彼は、愛している魚の状態に絶望し、15年前、北大西洋鮭基金を立ち上げた。商業漁業の抑制、流し網の買い上げ、政府への運動等の記録は、賛嘆に値する。
ニューファウンドランドは、1990年代初期の壊滅的な崩壊まで、漁業とその加工で4万4千人の人々を雇用していた。さらにその南では、マグロ、一部のサメ、マカジキ種への心配が深まっている。ほとんどの専門家達は以下の事で合意がある:世界の漁業に正常さを取り戻す唯一の希望は、商業漁業の圧倒的な影響を終らせることである。度をはずれた範囲で、各国の政府は、魚類捕獲で暮らしている人達の曲で踊らされている。
チャールズ・クローバーはこう述べている:今日英国では魚網漁業は芝刈り機製造業とほぼ同じくらいの少人数を雇用している。だが歴史的な感傷があるのでそれは驚嘆的な力を発揮する。アイルランドとスペインでは状況はずっと悪く、無茶な政策を慢性的に押している。EU役員は問題が改善されている、さらに過度な事は抑えられていると主張しているが、ほとんどのエキスパート達はそれを信じていない。私達が個々にできる簡単な事をしっかりわきまえるというグリーンピースの提言を是とするしかない。海への脅威を無くす反撃には、持続可能で、合法資源の品種を販売している最善の記録を持っている店から魚を買うようにする事である。
我々は魚類を大切にする事を始めるべきである。魚には毛皮がなく、心を打つ目つきもない、限られた動物相で市井の自然愛護者達を涙ぐませるような個性もない、だからそれは容易ではない。しかし海で毎日起きている事は、アフリカの平原での象やサイの殺戮に劣らず悪逆な事である。もしそれが続くならば、私達の子孫が受ける結末はいっそう苦渋に満ちたものになるだろう。
Author:事務局 : 2005年11月10日 09:23