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2007年10月08日

■インド有名茶栽培地アッサムの茶園労働者の苦境

1人の茶作業者は北東部インドのアッサム(Assam)州の工場でお茶の葉を処理している、アッサムでは茶労働者は1日およそ1.25ドル、そして住宅と食品を受けとっている。

彼は這うように広がるプランテーションにある家に住み、優しい、礼儀正しい人である。見渡す限りアッサムの緑の丘陵が続くなか、細心に刈り込まれた茶畑がある。

だが、お茶のビジネスはどうなのか? 聞かないほうが最も良いという。

マノジュ・ジャラン(ManojJalan)氏、5,000エーカーの土地がある第5世代目の茶栽培業者、は、彼の状況を「これはきついビジネスですね」と要約した。「私はここで、この建物で、生まれました。お茶は我々の生き方です」と彼はコロニアル様式の家の前に立ってのべた。

インドはずっと長い間そのお茶で有名であった、そしてほぼ2世紀前に英国の植民地によって開始されたこの15億ドル産業は、中国に次ぎ、世界で2番目に最も大きい産業である。2007年は百万トン以上が栽培され、その多くは、北東部州の当地アッサムで栽培されている。

-さらに悪い方に向かう変化- 

けれども生産原価が増大している、そして残忍な反乱勢力が茶栽培者に目標を定めている。グローバリゼーションが競争を増大させてきた。そして最近いいニュースのかすかな光があったのだが-インド政府によって発表された3億2000万ドルの再活性化パッケージ、また歴史的な最底値からの上昇-このビジネスは依然として収益面では最下位にある。

ジャラン氏のような茶栽培者は、代々の家族は60年前の英国からの独立後に業界を率いてきたのだが、残酷に競争する市場の中に押し込まれてきた。

一方には、何十もの栽培地と何万という労働者を持つ、巨大な規模で利益を最大にする大企業があり、他方には、増大しているミクロ生産者がいて、その多くは土地がほんの2エーカーしかないが、市場では力を増してきている。これら皆が、ここほんの10年間で価格が30パーセント下落したマーケットで競争している。

それから「アソム連合解放戦線」がいる。その反乱が20年にわたっておよそ3,000人を殺して、この地域を失業者の奥地に変えてしまった。茶プランター達は主な標的にされてきた。1ダース以上の人が殺されて、そして少なくとも20人以上が誘拐されてきた。農民がひそかに言うのだが、金のゆすり取りは、よくある事である。今日では多くの卓越した茶栽培者は、重武装しているボディーガードがあふれたジープなしでは家を出ることはない。

しかし、インドの茶畑地、現地ではガーデンと呼ばれるところ、に残る帝国時代の反映はすぐ目に付く。「burrasahib」-大親分-と呼ばれる人は、はまだ洞窟のような家に住んでいて、住宅から学校から医療までほとんどあらゆる生活の局面で、何千という従業員を監督している。

茶園労働者は今日労働組合に加入している、しかし大部分の人達は貧困ラインの数歩上でしか生活していない。アッサムでは、茶園労働者は1日およそ1.25ドルの収入、それと住まいと食事、しかない。そしておよそ3分の1しか読み書きができない。

茶摘労働者にどれほど長い間働いてきたか聞いて見なさい、そうすれば多くの人は算数ができない事が分かるでしょう。代わりに、湿っ気が多い朝に畑地を通って20ポンドの袋を担いでいる小さい、年配の女性、「LakhiTauri」さん、に聞けば、身振り手振りで答えるでしょう。「私がこれくらいの大きさの頃からずっとこれをしてきました」と彼女は腰の高さに手をかざして答えた。

これらの人は景気が下降するとき最も苦しむ人々である。茶畑が閉鎖されるとき、現在インド中で33箇所が閉鎖しているが、何千人もが失業して、労働者はすべてを失う事になる:ホーム、共同体、学校。

一部の推計では、何百という茶園労働者が、プランテーション閉鎖後過去1年で、栄養失調に関する病気で死んだ。

労働者にとっては、安全ネットは、1世紀前と同じで、すり減ってしまっている。

約400,000人の人々を代表している組合、アッサム茶園労働者(Assam Tea Workers) のパバン・シン(Paban Singh)氏はこう述べている:「たしかに、ある変化は来ました。けれどもその変化は速く、また切望したレベルでは来ませんでした」

主要茶業界団体、インド茶委員会会長「Basudeb Banerjee」は不平を言っている茶栽培者に対しては同情をほとんど持っていない。彼はこう考えている:茶産業界の最悪の年は最終的に終わろうとしている、そして多くの茶栽培者はブームが起きた時自分の土地に適切な世話をしなかったので、自分自身で困難を招いたのだ、茶の木を植え直して、7年間収穫を待たないで短期の利益しか目指さなかったせいだ。

「調子が良い年には、莫大な金がお茶でもうけられた」と彼が言った。茶栽培は問題を引き寄せるように思われるビジネスである。だが矛盾はそこにあるのです:断念したいと望む栽培者を見いだすことは難しいのです。彼等は、もし望めば、茶園を売り払うことができる有力な縁故がある地主です。それでもそうする人はほとんどいないのです。

家族がほとんど1世紀の間お茶を栽培してきた農園主「D.N. Boruah」氏はこう述べている:「私にとっては、茶園を世話することは大きな喜びである。私は何も利益を得ていないのかもしれません。そうなんですよ。しかし喜びはついてくるのです」

Author:事務局 : 2007年10月08日 14:09