« ■鳥の大量死が起きて殺虫剤「カーボフラン」(carbofuran) | メイン | ■キャベツ族の野菜には抗癌効果があるという研究発表が出る »

2008年03月05日

■2008年国際ジャガイモ年 続報

国際連合は2008年をジャガイモ国際年 (the International Year of the Potato)であると宣言した。国連は、ジャガイモの長所を大きく認識する事が国連のミレニアム開発目標(MillenniumDevelopmentGoals)を達成する事に貢献し、貧困を軽減し、食品保全を改善し、そして経済発展を促進する事を希望している。

ジャガイモは、ありそうもないように思われるかもしれないけれども、19世紀にイギリスで産業革命を下から支えることによって、経済発展を促進した。それは安いカロリー源を供給して、耕作が容易で、土地から農作労働者を解放した。

ジャガイモはイギリスの北部で人気が高くなった。北部では人々は畜産業と国内産業に専従していた。他方南部では、土壌がいっそう適切であったが、農民が小麦生産に集中していた。

この事は、幸せな出来事になって、石炭が容易に入手できた地域に産業活動を集中させた、そしてジャガイモが推進する人口の急増がそこの新しい工場群に十分な労働者を提供した。フリードリッヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)はジャガイモがその「歴史的な革命的な役割」では、鉄と同等であると宣言しさえした。

-自由貿易の塊茎-

ジャガイモは、英国の「トウモロコシ法」(Corn Laws)の廃止に貢献することによって、自由貿易を促進した。この運動は1843年にエコノミスト誌(The Economist)の創立を引き起こした。トウモロコシ法は国内の小麦プロデューサーを保護するために英国への穀物輸入を制限したものであった。

土地所有者達はこのトウモロコシ法をサポートした、なぜなら安い穀物が輸入されれば彼等の収入を減らすからである。しかし産業家達はトウモロコシ法に反対した。なぜなら輸入が食品原価を下げて、人々が生産品にもっと多くの金を使うことができるからである。

究極的には、トウモロコシ法を廃止に持っていったのは、この法への反対論の雄弁さではなかった。それはとても残念な事である。それが廃止になったのは1845年に起きたアイルランドでのジャガイモ飢饉の悲劇であった。この飢饉では百万のアイルランド人が、彼等が生きる糧にしていたジャガイモが「立ち枯れ病/blight」で壊滅して、飢えで死んでいった。

英国政府は、アイルランドでのこの惨状を救うために穀物を輸入する必要に迫られ、トウモロコシ法を支持していた地主達によって圧倒されていたが、その立場を逆転させる事を強いられた。

それは他の領域で自由化への道を開いた、そして自由貿易が英国の政策になった。ウェリントン公爵(DukeofWellington)はその時不平をこう言った:「腐れジャガイモがそのすべてをやってしまった」

アダム・スミス(AdamSmith)、多くのジャガイモ賛美者の1人だが、こう述べている:「ジャガイモが人間の食物としてこれらの連合王国(英国の事)で実施されているこのまさしく広い利用法は、一国民の偏見は、ダイエットに関して、どんなに深く根ざしていても、決して克服できないものではないという説得力がある証明である」

このジャガイモという質素な根茎は、つぶされて、油でいためられて、湯でられて、焼かれて、世界を変えた。そして自由貿易の「グローバル化推進者」はどこでもそれを祝うべきである。

Author:事務局 : 2008年03月05日 11:15