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2008年08月04日

■インド農民が遺伝子操作農業を避けて有機農業の解決策を選んでいる

遺伝子操作コットンはインド農民の救世主になるはずであった、しかし健康を害し、金の心配をさせる事が、GM反発に火をつけている。

40代半ばの活発なインドの女性、サッテンマさん、は、農民を訪問しているグループに自信を持ってこう話をしていた:「私の家族は農薬を使うのをやめた最初の家族です。3年前に、私達は化学薬品に収入の2分の1以上を使っている事に気がついたのです。それはあまりに多すぎました。私達は借金を背負い込んでいました。そして農薬は我々を病気にしていたのです。」サッテンマさんは「アンドラ・プラデシュ」(Andhra Pradesh)州の「Warangal」地区の「LakshminayakThanda」村に住んでいる。訪問者達は彼女と他の村人達がどのように、農薬と「Btコットン」を使うのをやめた後、やってきたのかを熱心に知ろうとした。「Btコットン」は米国バイオテク社のモンサント(Monsanto)によって生産された遺伝子改変された品種である。

「Btコットン」は害虫と闘えるように遺伝子設計されている。それは「Bacillus thuringiensis (Bt)」と呼ばれる土壌バクテリアから取った遺伝子を綿の種子へ挿入している。Btは「Bt-toxin」と呼ばれる自然の虫を殺す毒素を持っている。それが、今世紀の始めにインドに導入されたとき、インド1千7百万人の綿作農民の多くが直面していた深刻な害虫問題を解決する「驚くべきプロダクト」として売り込まれた。

-害虫は-

農民の多くは長い間綿を換金作物としては栽培していなかった。1980年代後期に、国際通貨基金(InternationalMonetaryFund)から圧力を加えられて、インドは、強く保護されてきた経済を開放して、その農民に、ハイブリッド種子、肥料、農薬を使用して、近代的農業に、乗り換えるよう督促した。その考えは、コットンを含めて、インドを産物の重要な輸出国に変えることであった。

最初は綿作農民達は順調にやった。彼等は高い生産高を得て、収入の真の増加を楽しんだ。しかしそれから問題が起こった。ハイブリッドの綿は害虫と疫病を受けやすい事が分かった、そして農民が一シーズンで30回自分の畑地に農薬散布することがめずらしくなくなった。生産原価がとてつもなく上り、借金にはまってしまった。彼等は技術的な解決を必死で求めた、そして「Btコットン」が解決策であるように思われた。

「マヒコ・モンサント」(Mahyco-Monsanto)社はその販売初年に、「Btコットン」の全在庫を売った、と、述べている。同社によれば、「Btコットン」下のインドの地域は2007年に2005年の310万エーカーから1440万エーカーに上昇した。

科学者のアブドゥル・カヤム(AbdulQayum)とキラン・サッカリ(KiranSakhari)は最初の3年で「Btコットン」の実行を査定して、モンサント社による売り込みにもかかわらず、農民達は大きな生産高を達成していなかった事を発見した。これは多分予期できる事だった。なぜなら「Btコットン」は農薬使用を減らすために設計されていて、生産高を上げるようには操作されていなかった。しかし、いっそう驚くことには、農薬使用もまた低下していない事が判明した。その理由は、農民が第二の疫虫という重大な問題に直面していたからである。二人の科学者は、非Bt農民の収入は、平均して、Bt農民の収入より60%高かったと算出した。モンサントはこれらの数字の正当性を受け入れていない。

他のさらに驚くべき問題が出てきている。サッテマさんは、訪問中の農民との話で、彼女の隣人のやぎ数頭が収穫後のBtコットンの植物を丸1日食んだ後で、死んだのを見たと述べている。このような話は堅実な証拠によってバックアップされなかったら、挿話にすぎないとして看過されるだろう。だが2006年に、1,800頭以上の羊が類似の状況で、ワランガル(Warangal)地区の他の村で死んだ。その症状と死体解剖の発見は、それらの羊がひどい毒性物質が原因で死んでいたことを示した。何百という農業の作業者が、Btコットンにさらされた時、またアレルギー症状を起こしていた。

-安全調査-

このような報告がでれば、Btコットンの安全性の徹底的な調査が起きただろうと思うかもしれない、しかし、米国にベースがある「責任ある技術研究所」(Institute for Responsible Technology)によれば、そんなことは一度も起きたことがない。再再度だが。モンサントはこの説明を受け入れていない。ナタラジャンによれば、Btコットンは、リリースへ正式決定を受ける前に、徹底的に6年から8年間テストされた。そして人あるいは動物の健康への悪い影響の報告はなかったと言う。

あまり物議はかもしていないが、Btコットンが他のハイブリッドと同様に、小規模農家にもたらす金銭のリスクが在る。農民が伝統的に1つの収穫から次ぎの植え付けの種子を取って蓄えていた。しかしこれはハイブリッド種子の場合できない。種子が「生気」をなくすからである。だから農民達は仲介人からハイブリッド種子、肥料、農薬のパッケージを信用買いして、その借りは作物が収穫されると払わせられる。問題は、農民が悪天候で収穫を失うときに始まる。返済することが不可能になり、彼らは容易に借金の罠にはまってしまう。問題はBtコットン以前でも重大であった、しかし、Bt綿の種子は高価であるから、もっと悪くなった。

もっと多くの困難が先に横たわっていそうである:ナグプル(Nagpur)にベースがある中央コットン研究所(Central Institute for Cotton Research)による最近の研究が、主な綿の害虫、「bollworm」がBtコットンに対して抵抗力を持ってきていることを示した。多くの農民は、サッテマのように、Btコットン関連の論争を追っているわけではない。彼女は、農業の変革を導いたのは実際的な考えであったと言う。「状況がうまく行くようにしたのは私達の村の自助グループの15人の女性達です」と彼女が言う。

「私達は子供達の健康の事が心配になりました。私達は自分達の側に男性達を引き寄せました。男達にお金が蓄えられることを明らかにしたのです。」サッテマは近くの家の壁にはった図面を指し示す。農民達が、非政府組織の助けを受けて、農薬使用と無農薬で綿栽培をした経費を横に並べて記録していた。「無農薬マネージメント」(Non-pesticide management (NPM)と呼ばれるこのシステムは、明らかに利益がより高い、しかしそれは生産高が高いためではなく、経費が本当にずっと低いためである。

約30マイル先の「イエナバヴィ」(Yenabavi)では、農民達はさらに進んで有機栽培になって、彼等の村がGMOなしであると宣言した。彼等の変革は、農薬への不満から始まった。今度は農薬がうまくいかなかったからである。「10年前に、この畑は赤頭の毛深いイモ虫で覆われていた。私はずっと多くの殺虫剤を撒き続けた、しかし害虫を除去することができなかった。」と、マライア、この変革をリードした農民、が、言う。偶然に有機農学者が訪問していた。彼はマライアに太陽熱パワーで動く「光の罠」を設置する方法を教えてくれた。マライアが喜んだ事に、それらは効いた。その時から、彼と他の農民達は自然害虫コントロールを開発してきた。

他の村もそれに続いている。アンドラ・プラデシュ州のほとんど2,000人が「無農薬マネジメント(NPM)」を採用した。ラグヴィーラ・レディ(Raghuveera Reddy)、同州農業大臣は数年以内に250万エーカーを共同体によって管理された持続可能農業の下に置く事を望んでいる。長期のゴールは、1千万エーカー、同州耕作地の45%、にする事である。持続可能農業はきつい努力を伴って、莫大な利益は保証しない、しかしそれは農民の健康を害さなく、個人の満足をもたらして、金銭リスクは少ししか伴わない。小さな農民のために何が本当に続けられるのかを忘れない事が決定的である。

Author:事務局 : 2008年08月04日 10:38