【AQUA262号】「2014年を迎えて」 新年挨拶

一般社団法人BMW技術協会 理事長 伊藤幸蔵

 新年、あけましておめでとうございます。
 日頃よりBMW技術運動の推進にご尽力いただき、誠にありがとうございます。
 3・11以降、まだ癒えぬ震災そして放射線被害問題を先送りし、十分な説明も議論もなされぬままに、TPPに加え秘密保護法などの強行採決を急ぎ、グローバリゼーションの名を騙った支配の力が大きく膨らむ中、私たちの農業、そして暮らしを取り巻く環境そのものが、偏った大きな市場(資本)原理により悪循環の渦に巻き込まれている状況です。
 昨年一一月に新潟で開催された第二三回BMW技術全国交流会での「パネルディスカッション・食と農の絆」では、市場経済偏重の社会からどう脱却していくか、農業、そして私たちの生活そのものの価値をどのように評価していくのか、皆さんとの議論において一つの方向性が見えたのではないかと思います。
 農・地域には市場経済が持っていない、お金では買えない豊かさがたくさん詰まっています。その豊かさを今一度見つめ直し、環境・文化を含めて守っていくこと、失ってしまったものは可能な限り再生していくこと、これはBMW技術の理念と大きく重なると考えています。
 BMW技術協会は一般社団法人になり、この春には四期目に入ります。二〇一一年一〇月の法人化以降、「原点へ還る」を基軸に「次世代への継承と未来の創造」と「BMW技術は技術と理念の両輪」を活動方針として活動を続けてきました。そして、BMW技術を活用する上でのテーマとして、①自然生態系・自然循環、環境保全、 生産・生活・地域社会の在り方を共(生産者・消費者)に考える。
②BMW技術を学ぶことにより、地球生態系への理解を深め、自分達の生産技術向上を目指す。③環境保全型農業を推進する。この三つのテーマを掲げてきました。これらは持続可能な社会の構築、次世代への継承という流れを生み出すと考えたからです。
 具体的には、年二回開催しているBMW技術基礎セミナー、海外を含む視察研修会、そして全国交流会等を通して、これまで培われてきたBMW技術の基礎と理念を学び、生物活性水を使用した実験を各産地で行いながら、BMW技術の実践を推進してきました。これは、皆で考え、悩みや情報を共有することにより「まともなもの」を作るための技術向上と全国のネットワーク「つながり」を強化していくことに繋がっています。
 昨年の全国交流会の二日目には、若手を中心とした一一の実験発表があり、若手らしい初々しい発表が続きました。高度な実験内容の発表もある一方、天候不順により収穫できなかった事例等もあり、今後は実験の目的や目標をより明確にし、内容や計測方法の精度も高めねばならないと感じています。しかし、BMW技術の発展において重要な発表ばかりでした。本年も若手の活動を継続し力強く進んでいきます。(詳しい発表内容に関しては四月に発刊予定の交流会記録集を見ていただきたいと思います)
 ㈱匠集団そらと協力して、全国各地のBMプラント巡回では、生物活性水の状態や利用状況等の確認をしています。現場に立たないと見えてこない課題もありました。裾野を広げる意味を含め、今後ともプラントの管理方法の講習やBMW技術の基礎を中心とした学習会を、全国各地で引き続き開催していきます。
 全国交流会でも触れましたが、農と食の絆、物の価値と経済はますます乖離し、食と農に対する意識は希薄になり続けています。このことで「生きる」ことに対する意識さえそうなりつつあるのではないかと不安になります。自分達が食べる食材の背景や物語を知らないで食べるのであれば流動食やサプリメント等でもいいのではないかと言いましたが、知ろうとしてもわからない、見えにくい仕組みになっていることも事実です。食材偽装事件に関してもそうですが、当然、生産者・加工・流通側に課題はあります。「人が食べる」という自覚を持ち、責任を果たすべきです。しかし、食べる側もきちんと知った上で判断し、自己責任において食べるべきだとも思います。
 BMW技術という「つながり」の中で大勢の農家や消費者の皆さんが集まっています。しかし、日本全国にはまだまだ点(個)で、食・農に対し不安を募らせている有機農家や消費者が多くいると思います。BMW技術協会はその方たちを繋ぐ役割を果たし、点を大きな面にして行きたいと考えます。そのためにも技術や問題の共有が無くてはこの苦境は乗り越えられないでしょう。特に若手は、自分達の地域について、先代が築いてきた技術や歴史を、もっと踏み込んで学ぶ必要があると感じます。足元から地域の発展を目指し、銭金ではない価値観を持ち、自分達の地域にあった、古くても新しい仕組みを自分達の手で作っていく事が大切ではないかと考えます。
 最後に、私たちは技術に驕ることなく、しっかりとした理念を持つことが大切です。BMW技術運動の推進を共に考え、技術そのものも深化させていく。 技術が人をつくり、その営みや環境を支え、また、さらに人がより良い環境と未来を創造できることを具体化していきましょう。
 BMW技術協会には全国に農業者、消費者、物流組織や自治体など、幅広い分野で活動する団体を含め、協会の活動を支える約三〇〇の会員とアジアの仲間がいます。このようなネットワークの広さを持った団体は多くありません。その根強いネットワーク、仲間がいるということを再確認し、共に力を合わせて頑張っていきましょう。今年も宜しくお願い致します。

Author 事務局 : 2014年02月01日18:53

【AQUA262号】「第23回BMW技術全国交流会」を振り返って

「第23回BMW技術全国交流会」を振り返って


「BM的考え方」
  NPO法人食農ネットささかみ
 理事長 石塚美津夫

 BMW技術との最初の出会いは平成元年の頃、山形県の米沢郷牧場での、故・伊藤幸吉さんとの出会いがきっかけであった。当時、JAささかみの職員だった私は、堆肥センターの建設に関わっており、堆肥の醗酵に悩んでいた。伊藤さんからは、『技術は教えるものではない、目で見て考えて盗むものだと』教えていただき、どれだけ米沢郷牧場に通ったかしれない。朝、暗いうちに家を出て約二時間、幸吉さん宅で朝ごはんをご馳走になったこともあるし、出勤時間に間に合わない時、JAに連絡を入れると組合長が自分のタイムカードを押しておいてくれたこともあった。この経験は平成三年の堆肥センター(笹神ゆうきセンター)設立時、堆肥の醗酵にどれだけ役立ったのか計り知れない。当時はBMW技術の全国交流会が走り始めたばかりで、米沢郷牧場や宮崎県綾町そして黒富士農場等々いろんな所への交流会や研修会に参加させていただいた。
 しばらくBMとは遠のいていたが、平成二四年の暮に謙信の郷の峯村さんから「平成二五年の全国大会は新潟で開催したい」との連絡を頂き実行委員の一人となった。実行委員会では、会場・スケジュール・食材調達・予算・役割分担等々、議論を重ねた。七回の実行委員会のうち、夏(八月一八〜一九日)に行われた奥地先生が率いるフィールドワーク「岩石調査」には驚かされ衝撃的であった。地球の起源、岩石と海と水・ミネラル・微生物の関係(大宇宙)。人間も食糧・水・ミネラル・腸内細菌がかかせない(小宇宙)と勝手に想像すらしてしまった。そして調査団を「笹神地区郷土資料館」にご案内した。ここは廃校にされた小学校を住民の現物寄付を仰いで、農具・民具をはじめ岩石や地質調査まである資料館であり、ささかみで自分が一番好きな場所である。若い頃、何か新しいことを考えたり、仕掛ける時に思案に耽った場所であり、先人の知恵とパワーをもらった場所でもある。奥地先生は岩石の教室に目を輝かせておられたし、実行委員長の峯村さんからは「ささかみのすさまじさを感じた。」とお誉めの言葉をいただいた。
 さて、準備万端とはいかないものの当日がやってきた。久しぶりということも有り、参加者の顔ぶれを見てBMも世代交代になったと実感、確実に新しい息吹を感じた。ささかみからも総勢三五名、若い世代の出席を募った。初日の基調講演・シンポジウムに二日目の実験報告と内容が豊富であったし、視察参加も例年になく多かったと聞いている。夜の交流会・地酒・食材も好評をいただいたようだ。自分もささかみでは「変わり者」と称されているが、BMのメンバーとの交流会は、同じ「匂い」を感じ何の違和感もない。懐かしい方々とお逢いすることができたし、七月に韓国へ行った際お逢いした方々に思いっきりハグされお話することができた。
 また、現在、栃木の稲葉先生の【民間稲作研究会】に一年間研修に行っている倅も参加した。手前味噌になるが、彼は変わった経歴の持ち主で高校の時からボクシングを始めインターハイで八位になり、大学でプロボクサーのライセンスを取得し、四年ほどプロの経歴がある。たまたま英語とスペイン語が出来る為、ボクシング協会で外国人選手の世話係りや通訳を八年ほどやっていた。そいつが「ボクシングは一生やる仕事じゃない、オヤジがやっている有機農業を引き継ぎたい。」と、この三月に研修を終え就農する。交流会では謙信の郷の若者と意気投合し、夜中の三時過ぎまで飲んでいたようだ。
 さて、話は変わるが自分も還暦を過ぎ、どうしたら次世代に引き継ぐ有機農業ができるか昨年一冬考えた。新潟における米の有機農業の問題点は大きく分けて二つあると考えている。一つは、生産者の問題である抑草技術である。変わった発想が好きな私は、チェーンでの除草をマグロ釣りの電動リールで引くことができないかと考案し、昨年四haの田んぼで実験した。幅二m・重さ二五キロのチェーンを田植え四〜五日後から五日間隔で三回やることで、それなりの成果があった。「美津夫君」が作った相棒ということで「パーマン二号」と名付けた。さらに今年の冬は肥料づくりにチャレンジしている。ささかみはパルシステムと三五年にわたる産直・交流事業を実施しており、ささかみ周辺にはパルとの物流業者が五〜六業者ほどある。各業者には何らかの産業廃棄物的なものがあり、それらを資源として肥料化ができないかと模索している。もう一つの問題は販売戦略である。パルシステムとは言え有機米の販売には苦戦している。紙面だけの販売でなく、また消費者だけの問題でなく何故やるのかという問題意識を持って、足で稼ぐプロの販売戦士を一緒になってやろうと動き出している。
 一日目のパネルディスカッションでは若干時間が足りない部分もあり、今回の全国交流会のテーマであった「食と農の絆」、そしてBM的考えということを含め、私の伝えきれていない思いを最後に書かせて下さい。
 百姓という言葉が好きだ。「差別用語だ」と言って、使われなくなって久しいが、自分は百姓という言葉が好きで、誇りさえ感じる。職業で「お」のつく職業は少ない。お医者さん、おまわりさん、お百姓さんくらいしか思いつかない。今は、農業をやる農家が一般的な表現であるが、生業(なりわい)としての生き方があると考えている。そこで、農業と百姓の違いは何だろうかと、百姓の目線を考えて見た。今の農業は、効率化を求め過ぎ、結果、単一作物・大規模化に向かっている。百姓は、お金だけでなく、くらしの原点である食べるものから始まるので、少量多品目で、自分や地域に合ったものを無理なく作り、多く収穫できたものを換金する。一昔前の百姓には、四季折々の草花や生き物と共に生き、藁から何でも作り、藁の文化を大切にし、農具・肥料・生活雑貨等々、物を作る知恵があった。さらに、生きざまとして、花鳥風月を楽しむ心の豊かさがあった。今、新潟平野の畔道は茶色に変色し、神経性農薬の多投の影響なのか、日本ミツバチやアカトンボなどの生き物が激減している。環境保全型農業という言葉が大はやりだが、「環境を創造する農業が大切」だと、稲葉光圀さん(栃木県 民間稲作研究所代表)から教わった。兼業でなく専業農家であり、農業で化学肥料や農薬を引いていくと、有機農業にたどりつき、生き方として「百姓目線」での生業を続けたいと考えている。そろそろ世の中がふるさと回帰・農業回帰に戻っても良い時期に来たのではないか。なぜならば、人が生きていくための必須条件は何よりも食べていくことだから。それが農村にはある。今から四二年前、自分がJAに勤めた頃は全国で約六五〇万haの農地が有り約六五〇万人の農家がいて、一人一haで生計は出来ていた。現在、農地は約四五〇万haでその約一割近くが耕作放棄地と言われ、販売農家は約一八〇万人。いくら規模拡大しても諸外国には規模では勝てない。農民作家の山下惣一さんが言っている、「今、農業、農村、農民を支配しているのは『やらせる側』の論理ばかり、『やる側』の論理は衰退し、ほぼ息絶えたかのよう」と。『人・農地プラン』も必要とは思うが、やらせる側の論理だけではいけない。ややもするとTPPが見え隠れする。戻ろう、ふるさと回帰・農業回帰へ。効率化を求め過ぎないで。
 以上、縷々と申し上げたがこれらの目的は効率化農業だけではなく、つまり地域の環境や生き物を守り、BM的考え方を基本に、如何に次世代に引き継ぐことの出来る環境を整えるかというのが我々世代の使命ではないかと考える。今回、第二三回BMW技術全国交流会を新潟で開催できたことにより、謙信の郷とJAささかみ、パルシステム、新潟県総合生協が中心になって、『新潟BM』(仮称)を立ち上げようと議論を重ねている。輪を広げよう『BM的考え方』を。

第二三回BMW技術全国交流会
実行委員長 峯村 正文

感謝の言葉……新潟大会に参加された皆さんお一人お一人に「ありがとうございました。」の感謝の言葉を申し上げたいと思います。何よりも大会運営が事故もなく、ほぼ計画通りに運営出来た事は参加者全員のご協力があったからです。述べ参加人数で二三〇名が集い、交流できた事はすばらしい出来事だったと思います。私が嬉しかったこと、それは新潟大会が「温かい大会でした。」とのメッセージを頂いた事です。皆さん、ご苦労様でした。
 私達は新潟大会の視察コースとして当初から三か所を設定しました。一つは地元でもあり「フォッサマグナの東端である笹神」、そして謙信の郷の「フォッサマグナ西端である上越」、そして新潟と言えば「佐渡」、佐渡は新潟県人にとっても特別な所です。「佐渡おけさ」の佐渡ですから。私の世代(昭和二四年生)は村々にまだ盆踊りが盛んな時代でした。二〇代の頃は、夏にはあっちこっちの神社や広場で「盆踊り」があり、踊りの渡り歩きが常でした。その時のメインの踊りは断然「佐渡おけさ」だったのです。だから「おけさ踊らずして彼女も見つからず」の最後の世代でしょうか。一一月初旬の日程は「佐渡コース必勝」の願いからでした。私の願いは大会の二日目の「晴れ」日よりでした。実は糸魚川の視察中も佐渡コースの様子が心配でした。能生の海から佐渡は見えませんでしたので「無事帰れるだろうか」とても心配でした。一二月三日おこなわれた、第八回目(反省会)の実行委員会で、「野浦」の皆さんが手料理して待っていたことを知り申し訳ないと謝りつつ、感謝の言葉も伝えられなかった事を悔みました。コープトラベルの田辺さんが一番心配されていた事でした。初日の懇親会「春駒」を踊っておられた臼杵さんは、野浦大神宮の宮司であり、朱鷺神社奉賛会の会長でもある方です。そして農民であり漁民でありいくつもの職をお持ちの方だと知りました。交流会でお話が出来て大収穫でした。頂いた名刺には「こちら佐渡 野浦 情報局」(http://wind.ap.teacup.com./noura/)とありました。皆さん是非アクセスして下さい。佐渡というところは、二度は訪れる所です。

大会運営……新潟大会の会場を何処にするか?参加者人数や視察コースから勘案して月岡温泉の「華鳳」に決めた事はとても幸いでした。温泉旅館の世界では「おもてなしは加賀屋」「コンベンションは華鳳」と言われています。ある研修会の講演者が加賀屋の社長でご本人が語っておられたからです。大会が終わってから言われたことは「豪華で立派でBMWの交流会としては破格の場所で、でも良かったよ」が圧倒的でした。これは嬉しい事でした。まずは会議運営の利便性の良さで助かりました。「女将」の挨拶と職員の接客も有り難かったですね。私は宿泊した部屋の広さと温泉の素晴らしさに感動しました。JAささかみの組合長からは「お湯がいいから絶対に露天に入れ」とアドバイスを頂いていましたから早速実行。朝風呂に入りながらのお風呂談義も出来ました。
 大会運営では海外からのゲスト、韓国BMの皆さんの声を聞けなかったですが、どんな印象を持たれたでしょうか。視察コースも全員が佐渡だったと思いますが、米韓FTAからの韓国農業の様子も含めてもう少しお話しする機会があったらと残念でした。
 BMW技術全国交流会にはそれぞれの開催場所の特徴があります。私が初めて参加した大会は第六回の茨城での交流会でした。朝風呂に入っていたらなんと海から朝陽が昇りびっくり仰天したのが印象的でした。当時、謙信の郷からの参加者は私、井沢代表、そして故・平沢代表の三人でした。当時三人で語り合ったのは、「間違っても新潟大会は力量から言っても無理だし、まず出来ないな。」でした。第一七回の宮城での交流会では「森は海の恋人」畠山さんの講演がありました。3・11の時は驚き心配しました。そして友人から真っ先に生存のメールが届き、安堵したことを覚えています。「森は海を、海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」これは伊藤理事長の語るBMW技術の基礎講座そのものかと思います。実は私達も、八月におこなった奥地先生との学習会、岩石調査でBMW技術の真髄に触れることができたような気がしています。
 今大会の特徴と収穫はと言われたら私は「継続と発展」と思っています。二日目の生物活性水を利用した実験発表ではそれが顕著でした。熟練の技と言いますか「米沢郷牧場」の発表には補足と言う形でお話しいただいた方の発言を含めて歴史を感じました。また失敗と全滅披露の発表にも若さが漲って印象的でした。昨今の天候の不順も感じました。
 私達の組織も次世代に移っています。BMW技術をどんな形で継続し、進化させるのかがこれからの課題となります。また、若い世代が参加出来た事、私も含めて親子で参加できたことも大きな成果だったと思います。

新たな出発……今、私達は新しい門出に向かって歩もうとしています。新潟大会がイベントだけの集合で終わらせることなく点から面への出発です。そこにあるのは何なのか、農の思想と農の理念。エネルギーの自給、里山の自給構想、有機栽培の技術の深化。そこに料理や食文化も入れよう。夢や希望はどんどん広がりますが思いは深く、しかし焦らず、ささかみの石塚さん風に言えば「人生楽しんでやらなきゃダメヨ」のノリで進もうと思います。
 最後に、私はニューシネマの傑作「明日に向かって撃て」を連想してます。ジョージ・ロイ・ヒル監督の名作であり出演がポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロスではないですか。音楽はバート・バカラックときていますよ。あまりにも美しい映画です。でも一九世紀末西部劇、二人組の強盗ブッチとサンダンスの逃避行は近代化へと向かう時代にあまりにも彼らの生き方は旧弊でした。それが滑稽でしたが眩しくて感動的だったのです。崖から飛び降りて死んだと思ったら生きていたり、ラストは各々の想像に任せるのなんかニクイ映画でしたね。生産者と消費者(生活者)、BMW技術はキャサリン・ロスが演じたエッタ・プレースですね。そんな世界を想像します。でも地獄か光か、明日に向かって撃て。撃たなければ進まないですよね。
 さて、今回のメッセージです、「未来は今はじまっています!孫ができて、お爺ちゃんと言われる私達も気合い十分です。」若者も勿論カッコよく決めています。わくわくする程汗をかき、わくわくするような農業をめざしましょう!もう一度「明日に向かって撃て!」


韓国BM協会
 事務局長 車 有正(チャ・ユジュン)

 第二三回BMW技術全国交流会は、前後の宿泊を含めて四泊五日の充実したスケジュールで移動の距離が遠かったため大変なこともありましたが、参加した全員が美しい日本の景色や文化を体験し、日本での時間を楽しみながら、BMW技術全国交流会に参加する目的を忘れず、一つでも多く学ぼうという意識を持ち、参加できたことを、日本の関係者を含めて皆様に感謝を申し上げます。
 今回のBMW技術全国交流会は「食と農の絆」というテーマで行われましたが、本当に「絆」という精神を感じられる充実した時間でした。日本全国の生産者、消費者、生協を含めたいろいろな団体が参加し、団結というか、一つの言葉では説明しにくいですが、これこそが今の韓国にとっても必要なことではないかと思われました。まさに「絆」ということですね。
 また、印象的だったのは日本の若者たちがBMW技術にこだわり、一年以上も時間をかけて、様々な実験・研究をして結果を発表していたこと。そして先輩達がアドバイスしてあげるということでした。自然循環システムというBMW技術の精神を実践して行く素晴らしいことだと思いました。
 これからの韓国BM協会は今回、BMW技術全国交流会のテーマであった「食と農の絆」ということをもう一度意識して、多くの団体と同じ志をもっている人々が力をあわせるよう、BMW技術を韓国の全国に普及するよう、そして国民が安心できるような食べ物、また地球に優しい、持続可能な成長のできる農業や畜産環境作りに努めていきたいと思いました。


視察コースA「ささかみコース」報告
パルシステム生活協同組合連合会 小林秀樹

 Aコースは、NPO法人食農ネット理事長の石塚美津夫氏の案内で視察が進行されました。一行は大型バスと各方面からの参加者が車で追尾する一団となりました。笹神地区郷土資料館、大豆加工体験「ささかみ(豆腐工場)」、笹神ゆうきセンターの三箇所を視察体感するプログラムで、参加者は一四団体から約四三名の参加となりました。
 はじめに、笹神地区に入り、ペンションポッポ五頭にて昼食をとりました。この昼食は、ささかみで働く女性生産者の皆さんがこの日の為に用意してくださった特別メニューでした。美味しいささかみのお米を中心に地場の野菜を合わせた料理に参加者は大変満足していました。
 昼食後、笹神地区郷土資料館に移動しました。今は廃校になり生徒が通わなくなった、ひと昔前の木造校舎が目を引く小学校に、笹神地域から集められた農業だけに限らず、地域の環境や歴史、文化を理解体感出来る展示物を石塚氏の説明を受けながら見学しました。館内には囲炉裏を施したスペースも展示されており、時代を感じさせる生活スタイルや使用していた様々な道具を見、参加者は後ろ髪を惹かれる想いで会場を後にしました。
 続いて、豆腐工場の見学です。地域の活性化として、六次産業的な要素を持つ工場として建てられたもので、豆腐の製造体制はJA直営でなく、(株)ささかみを設立し製造委託するスタイルで、原料供給・製造技術・販売の異業種が一体となって運営している等の説明を受けました。同時に特筆すべきは同業者である共生食品(株)(協会法人会員)の技術協力を得ていることなどの説明を受け独自の経緯がある豆腐工場であることを理解しました。
 最後の視察場所は「笹神ゆうきセンター」です。このセンターにはBMW技術生物活性水プラントも設置されており、生物活性水は堆肥に散布し、発酵促進と防臭のために利用されています。ささかみ地域の主な生産物であるお米を作る上で重要な「堆肥作り」を学びました。このセンターで作られたものが地域の水田に利用され、農薬や化学肥料を減らし資源循環を進め、環境に優しい農業を営む為の出発点になっていることを説明されました。


視察コースB「佐渡島コース」報告
パルシステム生活協同組合連合会 藤野圭一郎

 全国交流会終了後、佐渡島コースに参加する三四名は、途中昼食を摂り、フェリーで佐渡島両津港へ向かいました。両津港まで新潟港から二時間半の船旅です。車や鉄道・飛行機での移動とは違い、ゆったりとした移動の時間となりました。
 行程は、移動初日は『夕日と湖の宿あおきや』で宿泊・懇親会。翌日は史跡・佐渡金山を見学後、島の反対側にある野浦地区に移動して、地元の生産者が演じている『文弥人形』を観劇、昼食後トキの森公園を見学。両津港からジェットフォイルで新潟港に一六時三〇分頃に戻るようになっていました。
 両津港に着き、バスで宿舎に移動する間に添乗員の方から「明日の佐渡地方は低気圧が接近しており強風のため波が高く、ジェットフォイルは欠航になる可能性がある。その場合、フェリーの時間に合わせた行程に変更になるかもしれません」と説明がありました。参加者は全国からはもちろん、韓国からの参加者もおり、新潟港から先の交通機関を乗り継いで帰る方がほとんどで、佐渡島から(新潟港に)戻れるのか?と思う方もいらしたようです。ともあれ宿舎では懇親会が行われましたが、前日までの交流会の疲れがあったためか、若干おとなしめでした。その後は部屋単位で二次会が行われたようです。
 翌日、天候の不安は見事に的中し、ジェットフォイルは早々に欠航が決定。フェリーの運航状況がどうなるかということになりました。添乗員の方がフェリーの運航状況を確認しながら、まずは史跡・佐渡金山の道遊坑コースを見学しました。途中、少し屋外に出るところがあったのですが、そこで一行は土砂降りの雨に降られてしまいました。
 金山の見学が終わった後に添乗員の方が「一二時四〇分発のフェリーは運航しますが、それ以降の運航は未定で佐渡島に取り残されてしまう可能性があるので、トキの森公園を見学したあと両津港からフェリーで新潟港に戻ることにします。」とのことで、今回の視察のメインイベントでもあった野浦地区の『文弥人形』観劇及び昼食会は中止となってしまい、お弁当だけが両津港に届き、帰りの船中でいただきました。野浦地区は野生のトキが最後に確認された地区、棚田でコシヒカリが栽培されています。この機会にぜひ見たかったのですが、次の機会におあずけになってしました。
 農業の現場を見ることができずに予定を早めて戻ってきた佐渡島コースですが、宿泊の際に部屋単位でおこなわれた懇親会二次会は素晴らしいと思いました。楽しい話ばかりではなく、北海道から参加された結成されて間もない生産者団体の方々に、生産者の先輩や生協の方々が今後の指針などについて自分たちの経験や思いを熱心に伝えている場面は、生産者や生協の枠を超えて、BMW技術を導入していることで絆ができている証だと思いました。また来年一一月に皆様とお目にかかれることを楽しみにしています。

視察コースC「謙信の郷・
糸魚川ジオパークコース」報告
 米沢郷牧場 諸橋伸忠

 二日目のBMW技術全国交流会終了後、米沢郷牧場グループから石川・四釜・諸橋の三名で謙信の郷・糸魚川ジオパークコースへ参加しました。私がこのコースを希望したのは、BMW技術を活用し自然環境を壊すことなく調和しながら日々農業を営んでいる産地について実際に見て様々なことを感じたいと思ったことと、コースの案内を見てジオパークのジオやフォッサマグナから地球や大地、火山などを連想したのでBMW技術のM(ミネラル)の部分についてもっと知識が得られるのでは?と思い参加させていただきました。
 視察初日は車で参加していたので、その日宿泊するホテルで他の参加者と合流し謙信の郷の視察へ向かいました。最初に秋山さんが営んでるきのこの菌床栽培施設を見学させていただきました。ハウスが五棟あって椎茸を中心になめこや舞茸を栽培していました。栽培中はきのこに上から水を噴霧していますが、今後この噴霧に生物活性水を使用してみたいと言っておられました。
 続いて、謙信の郷のライスセンターと言って良かったでしょうか!?福原さんが代表をされている株式会社あぐり三和さんのお米の乾燥調整・籾摺り施設を見学させていただきました。この施設は今年の九月に稼動をした新社屋とのこと。八〇石二台と五〇石一台の乾燥機が導入されていました。今年は約五一ha分のお米をここで乾燥調整し、来年は六〇haを超える量のお米を乾燥調整されるそうです。
 ここで初日の視察は終了し、懇親会会場へ向かいました。懇親会では謙信の郷の奥様方が手作りしてくださった料理がたくさん並んでおり、地元特有の家庭料理とどぶろくをお腹いっぱいご馳走になりました。どれもとても美味しかったですが、中でも笹の葉を使って三層になっている押し寿司ははじめて見たお寿司でした。笹の葉の緑と黄色やピンクなどの様々な具材で色鮮やかな本当に美味しいお寿司でした。いくつか頂いて帰り、翌日のお昼も美味しくいただきました。
 三日目はフォッサマグナミュージアムと長者ヶ原考古館を見学しました。フォサマグナミュージアムでは地球誕生から今の日本が形作られるまでの歴史を岩石の展示品とパネルを通して学ぶことができ、奥地先生の講演を思い出しながらじっくり見てきました。最初に凄いと思ったのは縞状鉄鋼石でした。なんともいえない綺麗な年輪(層)が幾重にも重なって出来ている岩石を見た時はとても不思議な気持ちでした。この縞状鉄鋼石は海中に溶けていた鉄分が微生物によって作られた酸素とくっついて酸化鉄となり沈殿していった事によって出来たもので、地球に初めて酸素が作られた時期がわかるもので、同時にこの時期に酸素を作り出す生物が存在していた証拠となる岩石だというお話をお聞きしました。これが約二五億年〜一八億年!?想像もつかない太古の物を実際に見ることができ感動しました。その後ストロマトライトという微生物が作り出したとても不思議な模様のした岩石を見学し、さらに奥地先生からの説明で酸素を作り出した微生物がシアノバクテリア(光合成を行う藻の一種)だということを教えていただきました。他にもまだまだ沢山の不思議な岩石や面白い化石、綺麗な宝石なども展示されていて時間が無くて最後のほうまでじっくり見ることが出来ず、とても残念でした。
 糸魚川市は昔から翡翠の産地として有名なところで、翡翠の歴史についても学ぶことができました。そしてこの翡翠は蛇紋岩が無いところからは決して取れない岩石だそうです。翡翠と蛇紋岩は親子だったみたいです。旧石器時代には蛇紋岩で作った石斧などが作られており、当時は切れ味の良いブランド品として日本各地へ出荷されていたようです。この加工技術があったため翡翠の勾玉などの製造が発展して行ったようです。
 BMW技術のBやMそしてWを各々に分解して学んでいくと奥はとても深いですが身の回りの生活の場から活用していくことが出来る身近な技術なんだろうなあと感じます。そしてこの技術が凄く多岐にわたっていると感じるし、学んでいくことで徐々に物事の本質を理解して自然と調和した農業の営みを間違いなく後押ししてくれる技術だと感じます。

Author 事務局 : 2014年02月01日18:50

 
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