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2011年09月01日

【AQUA234号】日本・ネグロス連帯25周年記念式典に参加

 七月一五日にフィリピン・ネグロス島のタリサイ州にある、CICMという施設で、「日本・ネグロス連帯二五周年記念式典」が行われました。NPO法人APLA(当時:日本ネグロス・キャンペーン委員会)がネグロスにおいての救援活動をきっかけに、民衆交易等を始めてから二五年が経ち、その活動に関ってきたネグロスの農民(バランゴンバナナやサトウキビの生産者)、カネシゲファーム(KFRC)のスタッフ・研修生、ATC社など、日本からは、㈱ATJ社、田中理事長をはじめとするグリーンコープの方々、ネグロスキャンペーン北海道、白州郷牧場、そしてAPLAなど、ネグロスと日本から合わせて総勢約一〇〇名が参加しました。
 この式典には「過去を振り返り、現在を祝福し、未来のチャレンジに向かって」というサブタイトルがついていました。そのサブタイトルにあるように、古くから関りのある方達がそれぞれに昔を振り返りながら連帯の歴史を語り、農民やKFRCのスタッフたちが、現状やこれらからの取り組み、未来への夢を語ると言う内容でした。二五年前から酷い貧困・土地闘争問題など幾度の困難と闘ってきた歴史の上に今があり、ようやく若い世代が自分たちの夢を語るまでになってきたという、活動の「継続」と人々の「つながり」、それを「連帯」という言葉ひとつで表現してしまうのがもったいないと感じるぐらいに中味の濃い式典であったと思います。
 この中で印象に残ったのはふたつ。ひとつは「二五年の取り組みの中でだいぶ豊かになってきたが、本当にそれでいいのか、今一度、歴史を再認識し、農民の元に足を運び、共に考え、行動していくことが必要ではないか。」と語ったATC社のノルマ社長。
 「僕はKFRCに来て、豚の育て方、BMW技術をはじめ色々な事を学びました。また、経済的に家を助けることもできるようにもなった。もっとKFRCで学び、学んだことをまた人に教えられるようになりたい。」と語った研修生のジョネルくん。
 二五年が経ち、農民たちの自立が本当に形になり動き出しているということ、それを支える側の人達はどうなのであろうか。むしろ支える側の方が、お金を得て生活すると言う「ルーチン」をこなすだけで、自立できなくなってきているのではないかと、ネグロスも日本も含め、その辺りを考えると少し淋しくもなりました。
 式典の前日にはカネシゲファームにおいて、日本側からの参加者の見学交流、またネグロスの農民同士の話し合いなどが行われました。とても画期的な意見が交換され、ある意味で物に溢れた日本の「貧しさ」を感じ、エネルギー溢れるネグロスの人達から鋭気を感じました。また、バコロド市内では「反原発コンサート」があり、ミュージシャンたちが参加し反原発・反核を訴えました。フィリピンには原発はありませんが、日本の現状を見るに見かねてか多くの有志・観客が集まり、夜遅くまで続いていました。
 文中でBMW技術にふれることができなかったので、最後に。BMW技術が初めてネグロスにおいて普及されたのは、一九九五年。ツブラン農場、カネシゲファームに生物活性水のプラントが設置されましたが、その後の取り組みは大橋(APLA・フィリピンデスク)邸にミニプラントを残し、後退していました。その後、二年前に北部ルソンでの生物活性水プラントの設置をはじめ、本紙アクアでは何度も報告されていますが、カネシゲファームに飲水改善と生物活性水のプラントが設置され再び普及活動が始まりました。北部ルソンでもネグロスでも、農民たちの関心は高まっています。これからどのような形で普及していくのか、焦らず考え、行動していきます。
 どんな困難がこようとも、絶望したらその瞬間からすべて終わり、無くなります。仲間がいて、連帯があり、支えあう関係がある限り、「未来へのチャレンジ」は諦めることなく続くのではないでしょうか。

BM技術協会 事務局 秋山 澄兄

Author 事務局 : 2011年09月01日 11:43

 
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