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2016年03月01日

【AQUA287号】 アルフレッド・ボディオス氏追悼

 フィリピン・ネグロス島、カネシゲファーム代表のアルフレッド・ボディオス氏が一月四日の明け方に逝去されました、亨年六三歳でした。ここに深い哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りします。
 アルフレッド氏は「アンボ」の愛称で皆に親しまれ、フィリピンでのBMW技術の普及、若手農家の育成と有機農業指導に尽力されていました。二〇〇五年当時、ネグロス島の中西部にあるナヨン村の村長在任中に、一度は無くなりかけたカネシゲファームから生物活性水のミニプラントを自宅の裏庭に移設し、鶏やアヒル、犬、近隣の家の豚などに試し、BMW技術への理解を深めていきました。二〇〇七年、日本へ来日した際に山梨県の白州郷牧場や黒富士農場、山形県の米沢郷牧場を訪れ、BMW技術が軸となっている有畜複合型循環式農業の実践現場を見て、より深くBMW技術と有機農業を理解してきたとアンボさんは話していました。二〇〇八年にはルソン島の北部、カワヤン市の農業生産組合法人CORDEV(コルデヴ)に生物活性水プラントが新設され、一緒に設置工事をおこないました。北部ルソンでは二〇一〇年にも柑橘生産者のギルバート農場にて生物活性水プラントの設置工事、二〇一一年のCORDEVのプラント移設工事も一緒におこなってきました。
 話は戻りますが、二〇〇八年にカネシゲファームを再生させたいということで、協会会員でもあるNPO法人APLAからBMW技術協会に相談があり、白州郷牧場代表の椎名盛男氏(当時BMW技術協会常任理事)がネグロス島を訪問しました。その際に話し合ったアイディアをもとにカネシゲファームの全体的なデザインを作りはじめました。それはBMW技術を軸に養豚と野菜の有機栽培の有畜複合型循環式農場で、バランゴンバナナやサトウキビ生産者を中心に担い手を育てる農学校として、農民たちの様々な交流ができる場として、NPO法人APLAと同ファームを財団法人として再生させました。BMW技術協会と匠集団そらではこの間も技術支援を続けてきており、北部ルソンのメンバーとフィリピンBMW技術協会設立に向けて準備を始めていたところでした。
 私はカネシゲファームの立ち上げ時にBMプラントの工事に携わり、その後も定期点検で毎年カネシゲファームを訪問してきました。アルフレッド氏からフィリピンの文化やネグロス島の危機の背景、農業の現状など色々な話を聞くことができ、私の持ってくる日本の農業問題などと情報を共有していました。時にはちょっとしたことで意見が食い違うこともあり、意思疎通がうまくいかなくて気まずくなったことも幾度かありました。言葉の問題が大きいのでそれほど言いあいにはならないのですが、次また会えばお互いに理解しあっているような感じで、お互いの意見を取り入れあっていました。
 カネシゲファームは初めの研修生を数名受け入れ、そのうちの三名がスタッフとして残りました。昨年の秋には六期生を受け入れ、これまでに数十名の研修生がネグロス島の各地域から集まり、卒業していきました。若いスタッフを育てながら研修生を受け入れ、研修生が地域に帰ってからもカネシゲファームと関わりを持てるようにと、定期的に子豚を送り、卒業生が育てた豚を買い戻す仕組みを作りました。ですが決して順調な道のりではなく、様々な問題や課題が出てきてはその度に若い世代と真剣に向き合ってきました。「oh! every time,problem,problem(あ〜いつも問題だらけ!)」と口癖のように言っては笑いとばしているアルフレッド氏の顔が浮かびます。
 二〇一三年二月にBMW技術協会では若手を中心にネグロス視察ツアーを開催し一二名が参加しました。アルフレッド氏はツアー中、ずっと同行してくれました。最終日にホテルで、参加者それぞれが見聞きし、感じたことを語り合いました。アルフレッド氏はひとりひとりの発言の度にコメントをしてくれたことを覚えています。お互いに境遇やおかれた立場によっても感想は違ったが、ネグロスから学んだこと、参加者同士で語り合い刺激しあったこと、自分自身がこれから生きていくうえで大切にしたいことなど、夜遅くまで語り合いました。参加者の一人がKF―RC代表のフレッド氏に「日本は経済的には豊かになったが人びとは満たされていない。僕たちはこれから何をしたらいいのか」と質問すると、それに対し「仲間で集まってとことん話し合い、そこから出てきたアイディアを実行していくこと。答えは外にあるのではなく、自分たちの中にしかないよね」と答えがあった。先行きが見えない時代だからこそ、同じ志を持つ仲間が集まって行動をおこしていく大切さ、それが地域を作っていくBMの理念でもあり、参加者はあらためて感じることができたのではないかと思います。
 アルフレッド氏の葬儀はラ・カステリアーナという小さな町の教会で執り行われました。日本からも多くの供花が届けられていました。あまりにも突然のできごとでフィリピン訪問中はあっという間に時間が過ぎていき悲しむ暇もないような感じでした。アルフレッド氏に対して志半ば、無念という思いもありましたが、カネシゲファームを訪問しスタッフ達と今後のことについて話した時に、アルフレッド氏の死を受けて、故人の遺志を継ぎ、自分たちで力を合わせて頑張っていこうという強い意志を感じることができ救われました。
   (BMW技術協会事務局 秋山 澄兄)

Author 事務局 : 2016年03月01日 18:43

 
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